日々悶々と。 -2ページ目

日々悶々と。

97年生まれが鬱やら色々で高校を4年で卒業→4年制私大卒→一般企業で接客中。人と喋るのは好きだけどADHDグレーゾーンが相まってストレスでしかない。頑張って生きている日記。

接客業というのもあり色々な世代の方と日々話す話す。

私がしゃがんで「何歳?」って聞くと頑張って2本の指を見せてくれる子から耳元ででっかい声で話しても通じづらいから大量に筆談する紙用意せにゃならんおじいちゃんおばあちゃんまで幅広すぎる。


今日は50代のお母さんと大学生の息子さんでした。

ご希望をお伺いしながら色違いや形違いを

見て頂き、2時間ほど悩みに悩んだ末

おふたりとも素敵な商品を選んでいただいて

とても嬉しかったし満足して頂けたようで何より~〜〜予算オーバーごめんなさい!でも絶対あっちの方が良かった!ありがとうございます~~!!!!!!!


実は数日前にお母さんだけはご来店頂いていて

今持っている分を変えるかどうか悩んでいる事

子どももサイズ等が合っていなくて見てほしい事を

伺っていて、そうして色々話していくうちに

息子さんのアルバイト先が私の学生時代と

同じ場所だという事が判明し大盛り上がりの末の

今日だったので御要望の再確認と

いわゆる''悩む時間''に充てましょうという事で

話めっちゃスムーズに進んで行きました。


お母さんも息子さんも肌が白くて

ぶっちゃけ何でも合うな…とか思いつつ

合う形や好きなお色から順番に決めていってた時に

息子さんが少し席を外して、お母さんと2人になったタイミングで

「ごめんなさいね、あの子自分から話したりしないし人とあんまり関わろうとしないから大変じゃなかったですか?本人はあれでいいと思ってるんか分からないけど…」って聞かれた。


その少し前にお母さんが席を外した際に

息子さんとどんな形がいいか、いつ使うのかなどなど

お話をさせて頂いていたんやけど

特に無言のままな事も無かったし

聞いたら答えてくれるし

こういう時は使うけど普段はどうこうで、とか

細かく伝えてくれたから

めちゃくちゃ分かりやすかったし

私が近づいたらスマホを仕舞ってくれるし

スマホリングが知ってるアニメ作品やったから

「…それ〇〇ですよね?」「えっはい!」

「私もめっちゃ好きなんですよそこ!いいですよね!」「そうなんですか、周りにあんま知ってる人いないんでびっくりしました…!いいですよね!」

「いいですよね!!」みたいなオタクトークもしたし

いい子だな〜と思いましたよ!


これを原文ママお伝えした(するな)


するとお母さんがすごく驚いた様子で

「えっご存知なんですか!?あの子本当にゲームばっかりでずっと画面見っぱなしで返事もしないし前見てないし…!」


…ご存知な事に関してはいやもうマジで傍から見たら

キモオタなんですすみませんとしか言い様が無いけど

私もご飯中・トイレ・風呂・寝る直前まで

画面とお見合いしてるからなんも言えね~!

ごめんなさ~い!!!!!!って思ったので

またそのまま言いました。お母さんわろてました。

すまん。息子さんの代わりに言うとくな、親へ。

ごめんなさい。いつもご飯ありがとうございます。


そんな子を持つ母とそんなのと似た母を持つ子(私)で

話がめちゃくちゃにまた盛り上がって 

涙出るほど笑っててんけど

ふいにお母さんが暗い顔になって

「あの子高校まで学校行ったり行かなかったりしてたし今も何になりたいんかよう分からん感じで…」って

言い出してカウンセリングぢゃん。。。とか思いつつ


いや~私も学校とかいう場所意味分からんって

思ってましたし中学の終わりはギリギリのギリギリまで

進路決まらなかったし

高校で周りとのギャップにようやく気づいて

半年くらい引きこもりになってから人と話したくなって今の状態になったので…って話したら

どうやら息子さんも進学訳分からんみたいな同じ事

言うてたらしくて

えっ脳内共有いつの間にしたん????

挙句の果てに、最近まで春休みやったから

バイトいっぱい入れてたけど学校始まったら

バランス考えないとあの子潰れるしとか言い出して

私も~~~~~~~~~!!!ってなった。

バイト2年目の途中までどっちも詰めすぎて

生活リズム狂うわ慣れない接客のストレスすごいわで

ほんまに死にかけました。

良い子は次の日が1限の日には入れないようにしよう!

この日でれる?って休みの日に言われても少し断ろう!んでたまに出よう。


今の状態になれたって事はその半年は

意味のある半年だったって事ですよね

立派ですよ~!すごい!って

逆にこっちが励まして頂いたけどんな訳あるかいな。 

息子さんだってきっと色々考えに考えて

今の大学を選んだり高校も頑張ってたのでしょう。

これからもそうやって自分なりに考えて進んでいくのでしょう。

誰目線?って感じやけどそうやって進んでいく人は

とても素敵やし結果的にとても輝くと

勝手に思ってるので本人にとって良い方向に

進めるようにと切に願います。

お渡しの日がとてもとても楽しみです。


バイト先の先輩より。



父が
「何で家と客で同じ言い方せなあかんねん」
「フラッシュバック起きるわ やめてくれ」

夜中に叫んでて何?と思ったら
母と会話してる中でそんな流れになったらしい

私は動画見たりしてたから気づかんかったのだけど
これはいつもの、割と前から普通に話してたのに
母がどっかで地雷踏んでそれにキレたやつやなと
理解した。

地雷踏んだって書き方したけど母は日頃別に
嫌がらせで嫌な言い方をしたり口喧嘩したいとか
そういうわけではなく
ただ客観的な  第三者的意見を述べているだけ。
でもそれが母以外の私含む家族には
「もっと寄り添ってよ」や
「そうやな、大変やったなって共感してほしい」という
ストレスになっている。

けれど10年以上前から育てにくい子や
情緒の安定が難しい旦那を見てきた母にとって
共感したり慰めるよりそこからどう改善していくか
現状を理解させ次から出来るようにしないといけなかった
生きるスキルを身につけさせないといけなかった。

一方で父は、私が高校に入るまでの間
ほぼ夜勤みたいな仕事であったり
不規則な時間働いていたので
家が荒れていたりしてもそこまで気にせず
起きて待ってもらっているのが苦痛だから
寝ていてくれと言う人だったから
何も知らないでいられた。
けれど転職や流行病をきっかけに日中家にいたり
夜早めに帰って来れて、家族と過ごす時間が増えた事で
色々目について仕方ないのだと思う。

父は昔の私と同じなのでよく分かる。
仕事で何かあったら帰るまでに発散して帰ってくる
…のではなくそのまま家に持ち帰ってきてしまう。
家では甘えられると思ってしまっていて
家族とはいえ限度はあるというのが分からない。 
八つ当たりしてもいいとさえ思っていた時期もあったし
そのせいで家族がぐちゃぐちゃになった事もある

この数年でそれは少しずつ「何も言わない」に
変わってきていて
(前からちょくちょくあったけど顕著になってきた)
本当に勘弁してくれと言いたい事が
正直めちゃくちゃにある。
挙げるとキリが無いのでこのへんにしときたい

みんなは仕事と家と切り離して考えような!!!
なんかイライラしたらそれは仕事での事なのか
家での事なのかを明確化しよう!!!!
スマホのメモに書くなり独り事言うなり
Twitterに書くなりそれも発散方法のひとつ!!
絶対ごちゃ混ぜにしないように!!!
関係ない人を巻き込まないようにしよう!!!!
巻き込むのは関係者だけ!!
自分の性格や行動問題ならそれはそれで
俺は俺のこういうところに腹立ててる!って
書こう!!!!!

巻き込んで家族を傷つけた挙句ほっとけだの
俺なんていらんだの
そういう育てられ方しかしてないだの
惨めな言い訳するのが私の父です
それは1番やったらあかんやつなのよ……
それ言う前に家族に相談した?勇気振り絞った?
何もしてないくせに何かしたような口ぶりをするな

オススメ発散方法としては
①紙に書いてビリビリに破く
※紙破く時は刃物等で自傷に繋がらんように
手でちぎろう!父はともかく人類本当にやりかねん。
②いるかってアプリに書きなぐる
※過激な言葉は規制対象!一瞬の感情だけを書こう!
「しんど」「無理」等
③推しを眺める
※見て口角が上がればいいけど何も感じなくなったら
だいぶヤバいので寝るか寝るか寝るかしよう

どれもやってると情緒おかしくなるから
ひとりになれる場所か自分の部屋などでやろう!
自分の身は自分で守ろうマジで
この話は50過ぎのおじさんには通じんけど
通じる人はおると思うので……
生きよう………………

夏ぶりです。

しんどい事があったし泣きすぎて

目が冴えたので備忘録として書きます。


現実の推しが亡くなりました。


アイドルとかじゃなく

学生時代仲良くしていた異性です。

背が高くて細身で、スポーツマンで、騒がなくて。

べらべら喋るチビな自分とは

真逆の笑顔の素敵な好青年でした。 


入学してすぐの授業や行事で仲良くなって

避難訓練でペンを持ってないのを見かけて

すぐさまペンを貸してお礼言われてニコニコしたり

コンビニで買ったお菓子を友達と餌付けしてみたり

テスト勉強のためにまとめた資料をなんやかんやで

見せてたらお互いにまあまあいい点を取ってみたり

グループワークで自分から来ない推しに

自分のいるグループに入るよう言うと

小さい声でありがとうと言われたり

違う友人経由で始めたゲームを彼もしてて

フレンドになってお力添え頂いたり


本当に本当に、彼がいたおかげで

学生生活めちゃくちゃに楽しかった。

よく周りに「彼とはこう…何?」と聞かれたけれど

可愛い可愛い推し!と答えていたのも

いい思い出、になってしまった。


就職した後は職場を教え合っただけで、

自分が忙しかったり職場で色々なストレスがあって

春も夏とかも特に連絡はとらず

相手からも何も無く秋になり

友人伝いでここ数日連絡が取れてない事を知って

LINEをいくつか送ったけれど、恐らくその頃には

この世からいなかったんだろうなと思います。


告別式は仕事の休みが難しかったので

お通夜だけ参列させて頂きました。

スポーツ関連で先輩や後輩、マネージャーの方や

旧友の方々など、日にちが急にも関わらず

たくさんの人が集まっていて、本当に

愛されていたんだなと感じました。


焼香の横に、写真やお酒が置いてあって

まだ一緒にご飯食べてないし

お酒も飲んでないな、とか

学校の集まりで先生交えて空き教室でピザ食べた時に

トマト嫌いって言うて嫌そうに避けてたなとか

新しくピンク色のファイル買ってて

おっ新しいやつ?ピンクや〜ん言うたら

ピンク結構好きなんよなと言ってたなとか

それ繋がりでピンクっぽいニット着てたなとか

色々込み上げてきて

焼香あげながら大号泣してました。


死因とかは正直、根掘り葉掘り聞くのも無粋だし

とにかく亡くなったという事がショックで

聞けずじまいです。


その時に御両親と初めてお会いして

やっと、自分がなぜ彼を推してたのか

分かった気がしました。

あんなに雰囲気の良い御両親に育てられたから

第一印象も、話してからもずっとずっと

良い雰囲気だったんだろうなと。


スピリチュアルな話ではないですが

オーラというか、その人が纏ってる

空気感はあると思っていて

彼にも、御両親にも嫌なそれは無かったので

あたたかい家庭で育てられたんだろうな

その中で自分で色々決めたりして

御家族に支えられて生きていたんだろうな


少しだけお話させて頂いたけど泣きすぎてもう

もっと別のところでお会いしたかった

泣きながら名乗りたくなんてなかった。

街でばったりとかなんかそういうのが良かった。


「〇〇くんのおかげで学校めちゃくちゃ楽しかったです」なんて、何か伝えな!と思ったし言うたけど

本当は言いたくなかった

何も過去形にしたくなかったから

そもそも感謝してる事なんてキリがないから

彼がいる事で起こった森羅万象全てに感謝レベルだから


産まれてきてくれて  健康に育ってくれて

同じ学校で出会ってくれて  話してくれて

生きてくれて  ありがとう。


「天真爛漫で  笑顔の可愛い子でした」


式のお礼状に書かれていたお母様のお言葉

家帰ってから部屋で泣きながら黙読してたのに

マジでそれな!?と声が出るくらいにはそうだった。

なんか本当に楽しいんやろなって伝わる笑顔やった

私はアホしすぎて(´-ω-`)フーンみたいな顔とか

変顔してきたりとかしかさせられてなかったけど

たま〜に見せてくる良さがあった  


良かったな…。


お通夜の次の日からもう、すぐ仕事やったけど

その日ずっと目が死んでたし

連絡取れん話は職場にしてたので

先輩たちにめちゃくちゃ慰めてもらった

これからも不定期に泣くんやろな


数年前の自分からしたら信じられへんけど

マジでよっっっっっぽどの事が無い限り

自殺せんやろなと思った

推しに会うにはまだ早いもんな

めちゃくちゃ会いたいけど

来んなって戻されそうやし 今は胸張って会えん

どうせなら色々やりきってしわくちゃで会いたい

24歳、しかも数え年でとかいうふざけた姿で

止まったままの推しに

老いぼれのローキックお見舞いしたんねん


細く長く 無理せず生きていこ


ほんま  出会ってくれてありがとう