就活、終了 | 日々悶々と。

日々悶々と。

97年生まれが鬱やら色々で高校を4年で卒業→4年制私大卒→一般企業で接客中。人と喋るのは好きだけどADHDグレーゾーンが相まってストレスでしかない。頑張って生きている日記。

ちょっと前の記事で
就活が終わったって書いたんですけど
詳しく書いてないなって思ったし
詳しく書きますって言うてたので
詳しめに書きます。

 1.講師との出会い
私の通ってる大学はありがたい事に
講義と称して色々と自己分析だのPRだの
ご指導を頂ける機会が非常に多くて
今考えると「ぱねえ!」と一昔前の言語を発してしまうレベル。手厚いにも程があるやろ。

でも全部5限やった。つらかったね。

当時 3年だった私は何もかも本当にやる気が無く、そういった講義の度に「将来など知らぬ…自己分析は引きこもってる間にやり終えてる…」とぼやきながらなんとな〜くワークシートを埋めておりました。

そんなある日、友人(早々に内定決定した)から
「私、用事あるからついでにサポセン行かん?話だけでもしたら色々分かるかもよ」と、学内の就職サポートセンターへ誘われたのが大きなきっかけでした。

まあ誘われたはいいものの、ああいう空気というか、皆が前向きに一生懸命に職探しをしてる所にこんな鬱々とした奴が行ってもいいのか?と内心嫌〜な顔をしつつ、友人の付き添いって感じで大人しくしとこうと隅に座っていると、友人が何やら講師の方と私を見て話してる様子。

普段の友人の行動からして「あの子まだ決まってないんで話してやってくれ」的なことを言ってるに違いない…活発やから…もう嫌…帰りてえ…と思っていると本当に講師の方がこちらへやってきて

「どんな感じ?」

と聞いてきたんです

もうほんま帰りたかった。

今となっては講師の方にも友人にも
大感謝祭開催したいんやけど当時は鬱がピーク極めてて、入室したのが奇跡なレベルだったので。

後々、講師の方にうっわ(嫌悪)みたいな顔をしてたね〜!ワハハ!と言われました。感情隠せへんねや。すまんかった。

⚠これから講師の方をTさんと書きます。
Tは実際の名字ではないです。


「どんな感じって言われても…まあ…付き添いなんで」…とさながらキャッチを断るかのような言い方でぽつぽつ会話をしていくうちに自己PR文を書く流れに。

文章を書くこと自体は嫌いではないので
(嫌いだったらこんなブログ書いてない)

これまで何かしてた?
やり切ったな〜みたいなんある?と
質問に答えながら思うままにルーズリーフへ
殴り書いていきました。

これハメられてる!と思った頃には
8割程度の文章の枠組みが出来ていて
これはメモ書きやから
後日メールでword形式で見せてねと言われ
友人も待ってくれていたので
その日はそれで終了。

自己PRというと普通の人は「私の何が…?」
となると思うんですが
鬱のピークな中での私は
いつも変な自信に満ち溢れているので
「こんなけ試行錯誤しながら生きてんねんから偉いやろがい」の精神で
ハメられた事にイライラしつつ
バイトの事や学内での事などを中心に
3パターン考えていた文章を作りました。

が、やはり日を跨ぐと全くやる気が起きないし
文章作ったんこれ私????元気すぎでは?

提出に1週間くらいかけてしまいました。

それでもTさんは
「そういう子多いよ〜大丈夫大丈夫」と
ニコニコしていて
プロさすがかよ…と思いつつ推敲してもらい
自己PR文は完成したのでした。


その2に続く