あけましておめでとうございます鏡餅
みなさま
本年もよろしくお願いいたしますきいろありがちなキラキラ



先日、師匠から教えてもらった
大切なこと。


『信じている』と『知っている』の
概念の違い。


そしてその意識の違いがもたらすもの。


旗2旗2旗2


ふと、マーガレット・パワーズの詩

『 FOOTPRINT (足あと)』を思い出しました。


ロミさんの訳でどうぞピンク音符



『浜辺の足あと』  


ある晩、夢を見ました。
波の寄せる浜辺を歩いている夢を。


水平線上に
私の幼いころからの人生が
映画のように映しだされていました。


無邪気な幼い頃、
青春期を経て 大人になり、
その後に続く私の人生のストーリー。
その光景の前の砂浜には
私とそしてもうひとつのあしあと …… 。
傍らにはいつも
神さまが一緒でした。


今までの人生を思い出していた私は、
ふと立ち止まって
歩いて来た道すじを振り返りました。
そしてところどころ、
あしあとが一つしかない時が
あったことに気づいたのです。


それは
私が困難や逆境の中で苦しんで、
あがき、打ちひしがれていた時
だったのでした。


どうして?


何故あのとき
私は神さまに見捨てられたのか…。
その事実は受け入れ難く
私は神に向かって問いかけました。


「神さま、
 あなたは約束してくださいました。
 私とずっとともにある、と。
 それなのに、
 あなたの助けが一番必要な時に、
 なぜ私を見放されたのですか。
 わかりません、何故? どうして?」


聞こえるのは 波の音だけ…



しばし 静寂のあと、
神さまはおっしゃいました。



「私にとって
 あなたがた 誰もが愛しい大切な存在。
 私はひと時も
 あなたのそばを
 離れたことはない。
 いつもあなたのそばにいて
 あなたを守っている。

 あなたが苦しんでいたとき、
 砂の上にあったひとつの足あと、
 それは…
 悲しみや苦しみで倒れたあなたを
 そっと抱き上げて歩いていた
 私の足あとだったのだ」 と。


イメージングするといつも感動します。


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『信じている』と『知っている』。


これは私の感覚ですが、
『信じている』というと、
自分の期待や希望が入る感じ。
実現の可能性にしたら
100%ではない…
もしかしたらダメかもしれないという
不安な気持ちを 気合いで打ち消す
ニュアンスも入るかな。



一方、『知っている』は
自分の中で当たり前で、
疑う余地がない。
揺るぎない。
実際、言葉にした時の体感覚としては
お腹に響くというか
肚に落ちる感じがあります。



『浜辺の足あと』の一編の詩の内容を
『信じている』と自らを鼓舞するのか、


それとも、神様は共にあることを
疑う余地なく『知っている』として
歩むのか。


詩の捉え方はひとつの例ですが、
両者の意識の違いが
内側にもたらす強さは
全く違ってきますね。
もちろん現実にもたらすものも…。



そうありたいと望む自分の姿も現実も
きっともう ある次元では
叶っている、
整っている。


それを信じて(あっ、間違えたねー)
そのことを知っているという意識と
肚落ちした体感覚で
進みたい。


今年はもうワクワク決定ということは
知っているんです(*'∀`*)v
口に出して言ってみる(笑)



初日の出富士山初日の出
というにはもう日が高すぎた(笑)

この写真を見た父
『赤ちゃんみたいたらこ』と

太陽下の小さな真ん丸が頭で、
雲がちょうどおくるみみたいと。

我が父ながら、なかなかの感性(笑)
元日にステキな外応。




こちらは年末の夕日。

ちょっとタイミング逃しましたが、
『お~!黄金の
ベイビードラゴンが生まれたみたいだ~きらきら
と感動して撮ったのです。



丁酉(ひのととり)。
火の鳥のエネルギー。
不死鳥のエネルギー。

自分らしく羽ばたく、
自分を生きる本番。


ご縁ある方々と喜びいっぱい
進みたいと思います。
よろしくお願いいたしますハート