昭和24年 春。

大阪の大空襲は、ここ道頓堀を焼け野原にした。

街は瓦礫で埋まり、戦争は建物と人の心を微塵に打ち砕いた。

戦後の復興は目覚ましく、道頓堀も少しずつかつての活気を取り戻しつつあった。

山田六郎は一頭の牛を連れて、道頓堀に現れた。

『みんな腹が減ってるんや…』

六郎はここですき焼き屋をやろうとしていた。

六郎とて戦争ですべての財産を失ったのだ。
手元に残ったのは一頭の牛だけだった。

元手はこの牛のみ。

牛の背には『スキヤキ』ののぼりを立てた。
まことに珍妙な道中である。

道頓堀川にさしかかったとき、案の定、巡査がすっ飛んできた。

『こらあ!お前。ここの立て札が見えんかあ!その動物は何だあ!』

見ると、『馬車ノ侵入ヲ禁ズ』とある。

『何て、あんた。これが馬に見えまっかいな』

『馬車の通行は禁止だ!』

『だから…』

六郎は答えた。

『こんな角の生えた馬がおりまっかいな』

六郎の隣で牛が明るい声で『モオー』と鳴いた。

周囲に集まっていた見物客たちが大笑いする。

『きさま!口答えする気か!』

『だから…』

六郎は呆れて言った。

『牛が口答えできまっかいな』

タイミングよく牛がモオーと明るい声で鳴く。

見物客たちは大爆発だった。

『オモロイやないか』

見物客のひとりが言った。
身なりの良い押しの強そうな紳士だった。

『ワシは近所で映画館をやっとる吉本興業の林っちゅうもんや。あんた。気に入ったでえ。ワシがあんたの店の客、第一号になってやろう』

『へえ。あっ、それはありがとうございます』

『それで店の名前はなんする気や?』

『へえ。くいだおれ とつけようか思とります』

『なんやて? 食い倒れ やて…』

林はワハハと腹を抱えて笑いだした。

『アカン アカン。食い倒れなんてゲンの悪い…まるで食中毒みたいや』

林はそういうと腹を押さえて、ウウッとうめくとドタリと地面に倒れてみせた。
食中毒のマネをしたのである。

見物客たちがドッと湧く。

(お!ウケたウケた!)

林は喜んだ。

(このコケるんはこれからウチの定番にしよう)

林はニヤニヤ笑いながら立ち上がった。

吉本興業は空襲ですべての劇場を失った。やむなく吉本は解散する。今は映画館を営んでいた。
しかし映画は借りものである。
林は今一度、お笑いの演芸場をやりたかった。

六郎は言った。

『いいや。あては絶対 くいだおれ にしよう思とります』

『ガンコなやっちゃ』

『食うて満腹で倒れたや本望や』

『食うてすぐに寝たら牛になるで』

また牛がモオと鳴く。
観客がまた笑った。

『くいだおれ だす。決めました。旦那さんの顔みて決めました』

『わからんやっちゃの』

『起き上がるとき嬉しそうな顔したはりましたで。なるほど。人間は立ち上がるゆう楽しみがおますさかいな』

完。