写真は『牛鬼』である。
日本の妖怪の中では最強最悪の化け物である。
牛鬼は日本の海沿いにあらわれ人々を喰らう。
海辺しか現れないし、多くの命を奪うため『牛鬼』は津波を意味すると考えられる。
■■
動悸が激しい。
呼吸が荒い。
浩市は懸命に呼吸を整えた。
頭だけが牛の女…
化け物は浩市に予言を与え死んだ。
今ここで起きたことが夢のようだ。
もとより悪夢には違いないが…
浩市は這うように屋根裏を進んだ。
ハシゴを降りる。
宿の人間は知っているのか?
上に化け物が住んでいたことを…
女将さんは食事を運んでいた。
あの化け物を養っているのか?
他の従業員も?
(逃げないと)
化け物は死んだ。
むろん浩市のせいではない。
しかしあの予言が原因とすれば…
どうする?
逃げ出すか。
この旅館から逃げ出すか。
いや…
自分が姿を消せば、疑われる。
浩市はあたりを見回した。
誰も来ない。
浩市は大声で悲鳴をあげた。
聞かれていないのか…
浩市はそっと廊下を歩くと一階におりた。
風呂のボイラー室に身をよせる。
しばらくして。
絹ずれの音がした。
浩市は息が止まりそうだった。
(女将さんだ…)
女将さんが廊下を行く。
両手に持っているのはあの陰膳だ!
浩市は部屋に隠れていた。
恐る恐る陰から女将さんの後ろ姿を見ていた。
女将さんは気づいていない。
いつものように屋根裏の化け物に食事を運んでゆく。
浩市は女将さんの後ろ姿を見ていた。
知らぬ存ぜぬを決めこもう。
そうだ。
浩市は何も見ていない。
何も見ていないのだ。
女将さんは牛女の死体を見て驚くだろう。
騒ぎ立てるかもしれない…
警察を呼ぶ?
警察だって驚く。
いやむしろ表立ったほうが良い。
自分には関係のないことだ。
浴場の準備の時間になった。
浩市は仕事にもどった。
じきに女将さんが騒ぐだろう。
浩市は待った。
洗髪料や石鹸を準備する。
サニタリから上がってきたタオル類をチェック。
ロッカーの清掃。
浩市はいつもの作業にもどった。
作業中はあの牛女のことを忘れていられる。
時間がすぎた。
何も起きない…
女将さんはあの牛女の死体を発見したはずだ。
だが…
何も起きない。
どうして何も起きない?
なぜ旅館中がパニックにならない?
浩市は作業を終え、従業員室にもどった。
いつもとかわりない日常がある。
浩市が見たものはすべて夢だったのか…
どん。
物音に気がついて浩市は顔をあげた。
息が止まりそうだった。
ちゃぶ台の上にあの『陰膳』が置かれていた。
あの女将さんが化け物に持っていった陰膳だ!
陰膳を置いたのは勇さんだった。
勇さんはちゃぶ台の前にあぐらをかくと、山型にもった飯椀から墓標のように突き立てられた箸を抜いた。
そして、さも当たり前のように縁起の悪い陰膳をムシャムシャと食い始めたではないか。
浩市があっけにとられていると、勇さんは『ああ…これか? これはもう洋なしになったから』と言うではないか。
どういうことだ?
この勇さんもあの化け物のことを知っていたのか?
浩市の視線に気がついたのだろう。
勇さんは箸を止めた。
『じきにこの宿はさびれる。守り神がいなくなったからな』
と言う。
守り神?
あの牛女?
勇さんはじっと浩市の目をみつめた。
『もうすぐ災厄が起きる』
勇さんは言った。
つづく。