男の流儀~人生の達人~-ファイル1001.jpg


『件』についてご存知だろうか?

件(くだん)とは『事件』の件のこと。
『件のこと…』
といった言い回しをする。

なぜかニンベンに牛と書く。

『件』は神戸の伝承、怪談話に出てくる人間の体に牛の頭を持った妖怪である。

『件』は予言をする。
戦争や災害といった大事件を予言すると死んでしまうと言われている。

かの『阪神大震災』の前夜。
『件』は神戸の街に現れた。
大災害を予言すると『件』は動物の断末魔の叫びをあげ絶命したという。

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中崎浩市が兵庫県西宮のF村を訪ねたのは草木が芽吹く早春の頃だった。
F村にはささやかだが温泉が出る。
駅前とはいえ、山深い山道に牛頭旅館がある。
旅館とは名ばかりの民宿に近い宿泊施設である。

この牛頭旅館の臨時従業員募集に浩市はやってきたのだ。

ひなびているとはいえ、日給一万五千円は破格である。
大学生の春休みのバイトとしてはうってつけであった。
仕事の内容としては、風呂場の掃除と雑用と買い出し。

4月の末まで、住み込みでこのバイトは続く。
築150年という嘘みたいに歴史のある木造建築の旅館は黒びかりしたゴツい柱が迫力がある。

従業員は女将さんの他、料理係兼部屋係のハルさんと道代さん。
あとボイラー長で、浩市を除いては唯一の男手の勇さんというおじいちゃんだ。

若い従業員がいないのはちょっと寂しいが。

女将さんの初美さんは60過ぎくらいだろうか。
若いころは北新地でホステスをしていたというだけあって、年の割りには色気がある。
化粧なれした肌は艶やかで、さすがにシワだけはしっかりあるが、きれいな人である。
口が達しゃで厳しいが、浩市にはやさしく、よく面倒をみてくれる。

キツい仕事だったが、すぐみんなとは仲良くなった。
居心地のよいバイト先だった。

浩市に与えられた部屋は離れの納屋を改造した三畳間だった。
浩市は暇なとき、勇さんから将棋をしこまれた。

それだけならなんのへんてつもない居心地のよいバイトに過ぎなかったんだ。

それだけなら…

あの忌まわしい三階の部屋に入らければ…

続く。