その夜、日本列島を襲った寒波は容赦なく大地を凍りつかせた。
放射冷却は道行く人を震えあがらせ、コートの襟を立て帰宅時を急がせた。

センタービル。

燃え残りの廃墟と化したビルの周りには
keep out ー立ち入り禁止ーの黄色いテープが張り巡らされている。

センタービルの黒いシルエットが後ろの高速高架橋のシルエットと重なり、巨大な十字架を作っていた。
瓦礫の陰に田辺伸之は潜んでいた。
深く傷ついたわき腹を押さえセンタービルを見つめていた。

真沙美…

もうすぐそっちへ行く…

もうすぐ会える…

真沙美…

すまない…

俺は君を救えなかった…

もう少し、もう少しだった…

真沙美…

だが、すべてがうまくゆくとは限らない。

これが俺の生き方だ…

真沙美…

君に会えてよかった……

意識が遠くなった。

幾筋もの光が見えた。
光は交差しながら、そのひとつが伸之の顔を照らしだした。

「…おおい…いたぞ…こっちだ…」

伸之は薄目を開いた。

白井組か。

ようやく見つけたか…

だがもう手遅れだ。
伸之はニヤリと笑った。

サヨナラ…

「…わっ、怪我してるの…!」

意外にも女の子の声だった。
十代か二十代。

「早く、救急車呼ばなきゃ…」

別の女の子の声だった。

「間違いないよ。このひとだよ。おでこに十字架の傷」

「おおい! だれか!」

「何? 見つかったって?」

「やっぱここだったよ。にらんだとおり」

「見つかったよう。カシオペア…!」

…カシオペア…?

伸之は顔をあげた。
数人の若者たちが心配そうに伸之の顔を覗きこんでいた。

白井組?

違う。

ごく普通の善良そうな若者たちだ。

「あなた。十字架のオジサンでしょう?」

ひとりの男の子が伸之に声をかけた。

「君は…?」

「よかった…」

男の子は胸をなで下ろした。
後ろでは女の子たちが歓声をあげて抱き合って喜んでいる。
ひとりの若者が白い歯を見せながら伸之に言った。

「たくさんの人間が。数百人の人間があなたを探している。いやもう数千人になっているかもしれない」

「数千人? 俺を探して?」

伸之は戸惑った。

「俺たちはお互いに顔も知らない。だがひとつの目的で動いている。十字架のオジサンを探せ。そして助けろ」

「十字架のオジサンを探せ!」

後ろの女の子が大きな声を出した。

「十字架のオジサンを探せ!」

別の子が叫んだ。

「十字架のオジサンを探せ!」

若者たちが声を合わせた。

「十字架のオジサンを探してください。これがカシオペアの伝言なんです」

若者のひとりが言った。

カシオペアの伝言?

若者が携帯を開いた。

伸之は携帯の画面を見た。


カシオペアの伝言。

これが…!

伸之の目から自然に涙が溢れ出していた。


つづく。
次回 最終回。