それは世間的にみれば取るに足らない小さな事件だった。
フクマン商事系の倉庫会社のひとつからサンプルの箱がひとつ、納品書が一式消えた。
盗難の額としては僅かなものだ。
しかし関係者にとっては重大な事件であった。
■■■
「マスター、これが何だか分かるか?」
田辺伸之はバーのカウンターの上に小さな缶詰めのような箱を置いた。
それは目立たない土緑色をしていて、蝶々の形そっくりな小さな金具が上にくっついている。
「伸之、変なものを店のカウンターに置かないでくれるか?」
マスターはチラリと缶詰めに目をくれたが、特に興味を示さず仕込みを続けた。
「これが地雷だ」
「地雷?」
マスターは手を止める。
「対人地雷。この上を踏んで、足を離した瞬間に爆発する。
殺傷能力は低いが、足くらい簡単に吹っ飛ぶ」
「……」
「制作コストは数百円。おもちゃみたいなもんだが毎年9億個の地雷が地球のどこかに埋められる。こいつには爆薬は仕込まれてないが、驚くことに日本製だ」
「伸之。そんな物騒なものどこで拾ってきたんだ?」
「お邪魔するよ」
突然、二人の人相の悪い男たちが店に入ってきた。
「あいかわらずしけた店だ。おや、あんた。いつぞやはオムレツをご馳走さん」
年かさの男はカウンターの上の地雷をチラリと見た。
「あいにく今日は貸し切りでね」
伸之は言った。
「兄貴、コイツ失礼な奴ですね」
若いほうの男が言った。
「まあまあ。あんた。実は俺の知り合いの会社の倉庫にドロボーが入ってね。臨時の警備員をやとったんだが2日で飛びやがった。ついでに荷物がひとつ消えた。その男、額に十字の傷があったそうだ」
「ほう。面白くもない話だな」
「ちょっと話を聞かせてもらおうか?」
「こっちも訊きたいことがある。ちょっと外へ出ようか」
「これ以上首を突っ込むなと言った筈だ」
男はすごんだ。
「いいだろう。ケリをつけさせてもらおう」
■■■
それは興味のない人にとっては取るに足らぬ事件。
深夜の救急医療センターに二人の瀕死の重傷患者が運び込まれた。
ヤクザ者の喧嘩などこの町では珍しくない。
例え、この二人が命を落としたとしても、ゴキブリが駆除されただけのことだ。
ライトグリーンのレクサスは見る者に威圧感を与える。
そね車はその役目を充分認知しているのか地下駐車場のど真ん中に止められ、近くに他の車が近づくのを防いでいた。
この寒空にアロハシャツの若い男が口笛を吹きながらレクサスの運転席に乗り込んだ。
「また会ったなケンジ」
レクサスの後部座席に伸之が座っていた。
ケンジと呼ばれた男は意表をつかれて振り返った。
「あんた…! なんで!?」
「俺は忍び込むのが得意でね」
伸之は身を起こした。
「あんた…ケガしてるんじゃ…」
「かすり傷だ。それより、前、センタービルまで乗せた男の話を聞かせてもらおう」
「あんた…ヤバいよ…白井組が本気であんたを追ってる。あんた何したんだ?」
「ほう。白井組か。昔聞いた名前だな」
「命が要らないのか、あんた…」
「心配いらない。俺の命ならもうすぐ消えてなくなるよ」
「降りてくれよ。ヤバいことに巻き込まれたくない」
「なあ、ケンジ。車を出した方がいい。
ちっとばかし危険な匂いの人間が柱の影に…ほらあっちの柱にも」
ケンジは慌てて周りを見回した。
殺気を帯びた人影が数人、こっちを伺っている。
「ケンジ、お前、かなりヤバい人間を車に乗せたな」
ケンジは慌てたようにレクサスを急発進させた。
人影がバラバラとレクサスを追うように現れる。
「あんた!ヤバいことはごめんだ!」
タイヤをきしませながらケンジは叫んだ。
伸之はルームミラーで背後を確認した。
黒塗りのミニバンが追ってくる。
「……白井組も変わったな。ベンツじゃなくてファミリーカーか…」
■■■
「話はわかったよ。ケンジ。そのSという男の話をもっと詳しく教えてくれ」
レクサスは倉庫街の人気のない一角に止められていた。
追跡車は撒いた。
車の性能が違う。
「あんた。もう勘弁してくれよ。俺だってヤバいんだよ…」
「もう遅いよケンジ。お前も追われている。ウジ虫のように死ぬか。ヒーローになるか、お前が選べ…」
「……」
「この問題な表明ざたになれば日本そのものがひっくり返る。お前ももう逃げられよ」
「……」
「ケンジ、勇気を示せ」
伸之はケンジの肩に手を置いた。
「…なあ、あんた…なんでそこまでするんだ?」
「俺はある人に言われた。人生のなにがわかる?ってな」
「…人生?…」
「俺はもうすぐ死ぬ。俺は何のために生きてきたのか。その意味を知りたい」
「……」
「なあ、ケンジ。協力してくれ。もう逃げられんよ…」
「……」
「ケンジ…ケン…」
伸之はわき腹に氷が押し付けられたような強烈な冷感を感じた。それはすぐに疼痛に変わり、激痛に転じた。
「………いい突きだ。ケンジ……」
鮮血がレクサスの床に血だまりの池を作ってゆく。
「…すまねえ…あんた…俺は…まだ…」
ケンジはレクサスを飛び出し姿を消した。
「……ヒーローになりそこねたな…」
伸之はコートのポケットから十字架のネックレスをとり出した。
銀の十字架は伸之の血で赤く染まっていた。
伸之はいつまでも十字架のネックレスを見つめていた。
つづく。
フクマン商事系の倉庫会社のひとつからサンプルの箱がひとつ、納品書が一式消えた。
盗難の額としては僅かなものだ。
しかし関係者にとっては重大な事件であった。
■■■
「マスター、これが何だか分かるか?」
田辺伸之はバーのカウンターの上に小さな缶詰めのような箱を置いた。
それは目立たない土緑色をしていて、蝶々の形そっくりな小さな金具が上にくっついている。
「伸之、変なものを店のカウンターに置かないでくれるか?」
マスターはチラリと缶詰めに目をくれたが、特に興味を示さず仕込みを続けた。
「これが地雷だ」
「地雷?」
マスターは手を止める。
「対人地雷。この上を踏んで、足を離した瞬間に爆発する。
殺傷能力は低いが、足くらい簡単に吹っ飛ぶ」
「……」
「制作コストは数百円。おもちゃみたいなもんだが毎年9億個の地雷が地球のどこかに埋められる。こいつには爆薬は仕込まれてないが、驚くことに日本製だ」
「伸之。そんな物騒なものどこで拾ってきたんだ?」
「お邪魔するよ」
突然、二人の人相の悪い男たちが店に入ってきた。
「あいかわらずしけた店だ。おや、あんた。いつぞやはオムレツをご馳走さん」
年かさの男はカウンターの上の地雷をチラリと見た。
「あいにく今日は貸し切りでね」
伸之は言った。
「兄貴、コイツ失礼な奴ですね」
若いほうの男が言った。
「まあまあ。あんた。実は俺の知り合いの会社の倉庫にドロボーが入ってね。臨時の警備員をやとったんだが2日で飛びやがった。ついでに荷物がひとつ消えた。その男、額に十字の傷があったそうだ」
「ほう。面白くもない話だな」
「ちょっと話を聞かせてもらおうか?」
「こっちも訊きたいことがある。ちょっと外へ出ようか」
「これ以上首を突っ込むなと言った筈だ」
男はすごんだ。
「いいだろう。ケリをつけさせてもらおう」
■■■
それは興味のない人にとっては取るに足らぬ事件。
深夜の救急医療センターに二人の瀕死の重傷患者が運び込まれた。
ヤクザ者の喧嘩などこの町では珍しくない。
例え、この二人が命を落としたとしても、ゴキブリが駆除されただけのことだ。
ライトグリーンのレクサスは見る者に威圧感を与える。
そね車はその役目を充分認知しているのか地下駐車場のど真ん中に止められ、近くに他の車が近づくのを防いでいた。
この寒空にアロハシャツの若い男が口笛を吹きながらレクサスの運転席に乗り込んだ。
「また会ったなケンジ」
レクサスの後部座席に伸之が座っていた。
ケンジと呼ばれた男は意表をつかれて振り返った。
「あんた…! なんで!?」
「俺は忍び込むのが得意でね」
伸之は身を起こした。
「あんた…ケガしてるんじゃ…」
「かすり傷だ。それより、前、センタービルまで乗せた男の話を聞かせてもらおう」
「あんた…ヤバいよ…白井組が本気であんたを追ってる。あんた何したんだ?」
「ほう。白井組か。昔聞いた名前だな」
「命が要らないのか、あんた…」
「心配いらない。俺の命ならもうすぐ消えてなくなるよ」
「降りてくれよ。ヤバいことに巻き込まれたくない」
「なあ、ケンジ。車を出した方がいい。
ちっとばかし危険な匂いの人間が柱の影に…ほらあっちの柱にも」
ケンジは慌てて周りを見回した。
殺気を帯びた人影が数人、こっちを伺っている。
「ケンジ、お前、かなりヤバい人間を車に乗せたな」
ケンジは慌てたようにレクサスを急発進させた。
人影がバラバラとレクサスを追うように現れる。
「あんた!ヤバいことはごめんだ!」
タイヤをきしませながらケンジは叫んだ。
伸之はルームミラーで背後を確認した。
黒塗りのミニバンが追ってくる。
「……白井組も変わったな。ベンツじゃなくてファミリーカーか…」
■■■
「話はわかったよ。ケンジ。そのSという男の話をもっと詳しく教えてくれ」
レクサスは倉庫街の人気のない一角に止められていた。
追跡車は撒いた。
車の性能が違う。
「あんた。もう勘弁してくれよ。俺だってヤバいんだよ…」
「もう遅いよケンジ。お前も追われている。ウジ虫のように死ぬか。ヒーローになるか、お前が選べ…」
「……」
「この問題な表明ざたになれば日本そのものがひっくり返る。お前ももう逃げられよ」
「……」
「ケンジ、勇気を示せ」
伸之はケンジの肩に手を置いた。
「…なあ、あんた…なんでそこまでするんだ?」
「俺はある人に言われた。人生のなにがわかる?ってな」
「…人生?…」
「俺はもうすぐ死ぬ。俺は何のために生きてきたのか。その意味を知りたい」
「……」
「なあ、ケンジ。協力してくれ。もう逃げられんよ…」
「……」
「ケンジ…ケン…」
伸之はわき腹に氷が押し付けられたような強烈な冷感を感じた。それはすぐに疼痛に変わり、激痛に転じた。
「………いい突きだ。ケンジ……」
鮮血がレクサスの床に血だまりの池を作ってゆく。
「…すまねえ…あんた…俺は…まだ…」
ケンジはレクサスを飛び出し姿を消した。
「……ヒーローになりそこねたな…」
伸之はコートのポケットから十字架のネックレスをとり出した。
銀の十字架は伸之の血で赤く染まっていた。
伸之はいつまでも十字架のネックレスを見つめていた。
つづく。