今日、告知をされた。
わかってはいた。
どうだっていい。
延命処置はごめんだ。
■■■
田辺 伸之は上辺だけクリスマス商戦にわく喧騒の街中をあてもなくさ迷っていた。
ズボンのポケットにじゃらつく小銭でベンダーの缶ビールを買った。
立て続けに5缶ほど買う。
勢いよく振り向いた瞬間、いからせた肩にスーツ姿の若者とぶつかった。
『…ちょっと!』
無言で立ち去ろうとする伸之に若者がとがめた。
しかし、凄みを帯びた伸之の視線に若者はたじろいだ。
おどけたように肩をすくめて若者は立ち去った。
伸之は歩きだした。
世の中のすべてが自分を憎んでいる。
排除しようとしている。
伸之にはそう思えた。
若気のいたり。
血の気の多い十代のころつけた額の傷が、伸之の顔に凄みを与えている。
道ゆく人は誰でも伸之の顔をひとめ見るなり眉をひそめる。
次は慌てて目をそらす。
ただものではない。
と。誰しも思うのだろう。
構わない。
煩わしさがないぶん却って心地よい。
商店街を抜け、オフィス街の広い公園に出た。
一握りの緑が申し訳ていどにグレー一色のビル街に彩りを与えていた。
伸之は噴水脇のベンチに腰をおろした。
いい天気だ。
上出来だ。
ビールのプルを引き抜く。
世の中は今日の始まりを迎えて、慌ただしく動き始めていた。
午前9時。
悪くない。
こんなさわやかな日に公園で飲んだくれている。
世の中に必要とされていない人間にとって、世を眺めて飲んだくれているのは悪くない。
早くも2缶目を開けた。
アルミ缶を手で握り、クシャクシャにして芝生の上に放り投げた。
アルミ缶は芝生を通り抜け遊歩道に転がった。
伸之は見ていた。
アルミ缶にコツンと当たったものがある。
白い杖だ。
全盲の印。白い杖をついた女性が怪訝な顔で、伸之の投げた空き缶をしきりに杖で探っている。
ロングスカートにセーター。
二十歳くらいの若い娘だった。
杖に慣れていないのか女性の足取りはおぼつかない。
「…すまん…」
思わず伸之は声をかけた。
娘は顔をあげた。
少しひきつったような笑みを伸之に投げかける。
完全に目を閉じていた。
盲になって日が浅いのだろう。
「どこへ行くんだ?」
伸之は自然に問いかけた。
「…あっ、いえ…病院へ…センタービルです」
「センタービルは目の前だが、その入り口は今、工事している。反対がわの入り口から入らないといけないよ」
「そうですか…」
娘は落胆したような表情をしめした。
「どこか座れるところはありませんか?」
娘はここまで不自由な目で歩いて来たのだろう。
疲れているようだった。
「俺は今ベンチに腰かけている。ベンチでよければ休んでいけば良いだろう」
娘は礼を言い、手探りでベンチに腰をおろした。
「…良い天気…」
娘はホッとしたように微笑んだ。まぶたは閉じたままだ。
「ずっと見えないのか?」
「え?」
「ぶしつけな質問ですまん。俺は学がないから」
娘は微笑んだ。
驚くほど純粋できれいな笑顔だった。
「事故で。いつもは母に連れて来てもらうんですけど、今日は用事で来られないもんですから」
「病院?」
「ええ…」
「治るのか?」
「え?」
「いや、すまん。どうも俺はストレートでいかん。気を悪くしたなら許してくれ」
娘は自然にかぶりをふった。
「五分五分。かく膜を移植しなければならないんですけど、ドナーがいなくって。順番待ちなんです」
「そうか。治ると良いな。いや、きっと治る」
娘は首をかしげて伸之の顔を見た。
もちろんその目は見えない。
「あなたは良い人です。ありがとう」
「よしてくれ。俺はヤクザなんだよ」
「ううん。私にはわかる。とても優しそうな顔をしている」
伸之は失笑した。
「俺の顔には傷がある。ヤクザどうしで喧嘩した傷だ。みんな怖がる」
「傷?」
娘は手をのばした。
「触ってもいい?」
伸之は驚いた。
何がって…自分の返事にだ。
「いいよ…」
娘は恐る恐る伸之の顔に指を這わした。
顎の形。鼻。唇。まぶた。そして額。
娘はそのひとつひとつを確かめる旅に頷きながら、楽しそうな表情を浮かべる。
「くすぐったいよ」
「面白い! 十字架の形」
「え?」
娘は伸之の額の傷の形を言っている。
「よしてくれ。それはバッテンだ。社会不適合のバツマーク…」
娘は大きく首を横にふった。
「ううん。あなたはステキなひと。優しいひと」
娘は自分のしているペンダントを指し示した。
十字架のペンダントだ。
携帯の呼び出し音が鳴った。
娘の携帯だ。
盲人用に操作ボタンが工夫してある。
「診察時間だ。行かなきゃ」
「変わった携帯だな」
「音声入力と点字ボタン。メールもできますよ」
「驚いたな。そんなのがあるのか」
娘は立ち上がった。
「さようならおじさん……メリークリスマス」
娘は立ち上がった。
ゆっくりした足どりだ。
「案内してやろうか?」
娘はちいさく笑った。
「いい…自分の足であるきます」
娘はおぼつかない足どりでセンタービルに向かった。
伸之は見送った。
伸之はベンチに座り続けた。
日差しが柔らかだ。
そうだ。どうせ長くない命。
自分の角膜を娘に提供しようか…
汚れたものを見続けた目だが。
伸之は苦笑した。
その時だ。
公園のハトがいっせいに飛び立った。
静寂。
時間が静止した。
ドオン!
耳をつんざく轟音。
衝撃。
伸之はベンチから振り落とされた。
ガラス片が雨のように降ってくる。
伸之の前でセンタービルが燃えていた。
中央階あたりから真っ黒な煙りが盛大に吹き出している。
伸之は走りだしていた。
センタービルが。
爆破!?
これが200名以上の犠牲者を出したビル破壊テロ事件である。
つづく。
わかってはいた。
どうだっていい。
延命処置はごめんだ。
■■■
田辺 伸之は上辺だけクリスマス商戦にわく喧騒の街中をあてもなくさ迷っていた。
ズボンのポケットにじゃらつく小銭でベンダーの缶ビールを買った。
立て続けに5缶ほど買う。
勢いよく振り向いた瞬間、いからせた肩にスーツ姿の若者とぶつかった。
『…ちょっと!』
無言で立ち去ろうとする伸之に若者がとがめた。
しかし、凄みを帯びた伸之の視線に若者はたじろいだ。
おどけたように肩をすくめて若者は立ち去った。
伸之は歩きだした。
世の中のすべてが自分を憎んでいる。
排除しようとしている。
伸之にはそう思えた。
若気のいたり。
血の気の多い十代のころつけた額の傷が、伸之の顔に凄みを与えている。
道ゆく人は誰でも伸之の顔をひとめ見るなり眉をひそめる。
次は慌てて目をそらす。
ただものではない。
と。誰しも思うのだろう。
構わない。
煩わしさがないぶん却って心地よい。
商店街を抜け、オフィス街の広い公園に出た。
一握りの緑が申し訳ていどにグレー一色のビル街に彩りを与えていた。
伸之は噴水脇のベンチに腰をおろした。
いい天気だ。
上出来だ。
ビールのプルを引き抜く。
世の中は今日の始まりを迎えて、慌ただしく動き始めていた。
午前9時。
悪くない。
こんなさわやかな日に公園で飲んだくれている。
世の中に必要とされていない人間にとって、世を眺めて飲んだくれているのは悪くない。
早くも2缶目を開けた。
アルミ缶を手で握り、クシャクシャにして芝生の上に放り投げた。
アルミ缶は芝生を通り抜け遊歩道に転がった。
伸之は見ていた。
アルミ缶にコツンと当たったものがある。
白い杖だ。
全盲の印。白い杖をついた女性が怪訝な顔で、伸之の投げた空き缶をしきりに杖で探っている。
ロングスカートにセーター。
二十歳くらいの若い娘だった。
杖に慣れていないのか女性の足取りはおぼつかない。
「…すまん…」
思わず伸之は声をかけた。
娘は顔をあげた。
少しひきつったような笑みを伸之に投げかける。
完全に目を閉じていた。
盲になって日が浅いのだろう。
「どこへ行くんだ?」
伸之は自然に問いかけた。
「…あっ、いえ…病院へ…センタービルです」
「センタービルは目の前だが、その入り口は今、工事している。反対がわの入り口から入らないといけないよ」
「そうですか…」
娘は落胆したような表情をしめした。
「どこか座れるところはありませんか?」
娘はここまで不自由な目で歩いて来たのだろう。
疲れているようだった。
「俺は今ベンチに腰かけている。ベンチでよければ休んでいけば良いだろう」
娘は礼を言い、手探りでベンチに腰をおろした。
「…良い天気…」
娘はホッとしたように微笑んだ。まぶたは閉じたままだ。
「ずっと見えないのか?」
「え?」
「ぶしつけな質問ですまん。俺は学がないから」
娘は微笑んだ。
驚くほど純粋できれいな笑顔だった。
「事故で。いつもは母に連れて来てもらうんですけど、今日は用事で来られないもんですから」
「病院?」
「ええ…」
「治るのか?」
「え?」
「いや、すまん。どうも俺はストレートでいかん。気を悪くしたなら許してくれ」
娘は自然にかぶりをふった。
「五分五分。かく膜を移植しなければならないんですけど、ドナーがいなくって。順番待ちなんです」
「そうか。治ると良いな。いや、きっと治る」
娘は首をかしげて伸之の顔を見た。
もちろんその目は見えない。
「あなたは良い人です。ありがとう」
「よしてくれ。俺はヤクザなんだよ」
「ううん。私にはわかる。とても優しそうな顔をしている」
伸之は失笑した。
「俺の顔には傷がある。ヤクザどうしで喧嘩した傷だ。みんな怖がる」
「傷?」
娘は手をのばした。
「触ってもいい?」
伸之は驚いた。
何がって…自分の返事にだ。
「いいよ…」
娘は恐る恐る伸之の顔に指を這わした。
顎の形。鼻。唇。まぶた。そして額。
娘はそのひとつひとつを確かめる旅に頷きながら、楽しそうな表情を浮かべる。
「くすぐったいよ」
「面白い! 十字架の形」
「え?」
娘は伸之の額の傷の形を言っている。
「よしてくれ。それはバッテンだ。社会不適合のバツマーク…」
娘は大きく首を横にふった。
「ううん。あなたはステキなひと。優しいひと」
娘は自分のしているペンダントを指し示した。
十字架のペンダントだ。
携帯の呼び出し音が鳴った。
娘の携帯だ。
盲人用に操作ボタンが工夫してある。
「診察時間だ。行かなきゃ」
「変わった携帯だな」
「音声入力と点字ボタン。メールもできますよ」
「驚いたな。そんなのがあるのか」
娘は立ち上がった。
「さようならおじさん……メリークリスマス」
娘は立ち上がった。
ゆっくりした足どりだ。
「案内してやろうか?」
娘はちいさく笑った。
「いい…自分の足であるきます」
娘はおぼつかない足どりでセンタービルに向かった。
伸之は見送った。
伸之はベンチに座り続けた。
日差しが柔らかだ。
そうだ。どうせ長くない命。
自分の角膜を娘に提供しようか…
汚れたものを見続けた目だが。
伸之は苦笑した。
その時だ。
公園のハトがいっせいに飛び立った。
静寂。
時間が静止した。
ドオン!
耳をつんざく轟音。
衝撃。
伸之はベンチから振り落とされた。
ガラス片が雨のように降ってくる。
伸之の前でセンタービルが燃えていた。
中央階あたりから真っ黒な煙りが盛大に吹き出している。
伸之は走りだしていた。
センタービルが。
爆破!?
これが200名以上の犠牲者を出したビル破壊テロ事件である。
つづく。