「ねえ、聡子。かしまさんって、どうなったの?」
学校からの帰宅途中、ヒロミが訊いてきた。
ん? かしまさん?
かしまさんって…
「何だっけ? それ」
「やだ聡子。とぼけないでよ」
ヒロミは軽く聡子の腕をたたく。
かしまさん…
もうずっと前のことのような気がする。
そう、それはただの都市伝説。
横断歩道を渡る際は右を見よ。
怠ると右足を持っていかれる。
左を見よ。
怠ると左足を持っていかれる。
夜風にあたり、油断をすると風邪をひく。
〔風邪〕という妖怪をひきよせる。
戒めのようなものだ。
ただそれだけ。
「ヒロミ、かしまさんなんかちっとも怖くないから」
「でも呪われちゃうんでしょ」
聡子は微笑んだ。
「呪われたら戦えばいい。そもそも恨みを買うようなことをしなければいいのよ」
遠い意識の中、聡子は現代に帰ってきた。
人は愚かだがバカではない。
人を傷つけることがいかに残酷であるかを知っている。
人を救うのは人しかいない。
「聡子。なんだか変わったね」
「そお? 大人になった?」
「まっさかあ!」
二人はきゃっきゃっと笑った。
雨がやんだ。
加古川橋を渡る。
欄干にほこらがある。
「あっ。ヒロミ。ちょっと待って」
聡子はほこらに向かって手を合わせた。
「聡子ぉ。やめなよう。怖いよう…」
ヒロミが顔をひきつらせた。
呪いが解けたいまでもこの娘はまだ恐怖を引きずっている。
「大丈夫だから。ね…」
聡子は長いあいだほこらに向かって手を合わせていた。
不意に冷気を感じて聡子は顔をあげた。
ほこらの向こうがわにかしまさんが現れていた。
耳まで裂けた口。
赤い眼。
恨みをこめた悲しい表情。
両手、両足のない姿。
じぃーっと聡子の顔を覗き込んでいる。
かしまさんが訊いてきた。
(右足はいるか?)
「ハイ。それは私にとって必要なものです」
聡子は答えた。
(左足はいるか?)
「それも私にとって必要なものです」
(ワタシが怖いか?)
「…怖いです。でも私は逃げません」
(なぜだ?)
「ある人と約束しました。誰も犠牲者を出したくない。
もう誰も…」
かしまさんはさらに聡子を睨んでいた。
恐ろしい表情だが、聡子にはとても哀しげな顔に見えた。
そして……
消えた。
かしまさんは去った。
聡子は微笑んだ。
ヒロミを振り返った。
「ヒロミ。今日ウチ来る? お父さんとお母さんがついたお餅があるの。おばあちゃんがキナコをまぶす。おばあちゃんのキナコ餅、おいしいよ」
「ええ、でも太っちゃうしぃ…」
「かしまさんより、太るほうが怖いもんね!」
ふたりはきゃっきゃっと声を出してわらった。
「見て! 虹!」
ヒロミが空を指差した。
きれいな虹が橋をかけていた。
古代の人は川面から立ち上がる虹を見て、蛇神が立ち上がったのだと思った。
七色の虹は敬意をこめて龍と呼ばれる。
聡子には虹の上に立ち、天にのぼるお万阿の姿がはっきりと見てとれた。
聡子はお万阿に向かって手を降った。
涙が自然に頬をつたい落ちたが、その顔は晴れやかだった。
「ヒロミ!」
聡子は元気な声で呼んだ。
「なに?」
「ウチに来るの?来ないの?キナコ餅いらないの?」
ヒロミはちょっともじもじしていたが、すぐに笑みを返した。
「行く!」
加古川の町に少女たちの笑い声がこだました。
おわり。
第5番目の長編、完結です。最後までありがとうございました。
感想などいただけたら幸いです。
また次回作でお会いしましょう。
快盗ゼブラ。
学校からの帰宅途中、ヒロミが訊いてきた。
ん? かしまさん?
かしまさんって…
「何だっけ? それ」
「やだ聡子。とぼけないでよ」
ヒロミは軽く聡子の腕をたたく。
かしまさん…
もうずっと前のことのような気がする。
そう、それはただの都市伝説。
横断歩道を渡る際は右を見よ。
怠ると右足を持っていかれる。
左を見よ。
怠ると左足を持っていかれる。
夜風にあたり、油断をすると風邪をひく。
〔風邪〕という妖怪をひきよせる。
戒めのようなものだ。
ただそれだけ。
「ヒロミ、かしまさんなんかちっとも怖くないから」
「でも呪われちゃうんでしょ」
聡子は微笑んだ。
「呪われたら戦えばいい。そもそも恨みを買うようなことをしなければいいのよ」
遠い意識の中、聡子は現代に帰ってきた。
人は愚かだがバカではない。
人を傷つけることがいかに残酷であるかを知っている。
人を救うのは人しかいない。
「聡子。なんだか変わったね」
「そお? 大人になった?」
「まっさかあ!」
二人はきゃっきゃっと笑った。
雨がやんだ。
加古川橋を渡る。
欄干にほこらがある。
「あっ。ヒロミ。ちょっと待って」
聡子はほこらに向かって手を合わせた。
「聡子ぉ。やめなよう。怖いよう…」
ヒロミが顔をひきつらせた。
呪いが解けたいまでもこの娘はまだ恐怖を引きずっている。
「大丈夫だから。ね…」
聡子は長いあいだほこらに向かって手を合わせていた。
不意に冷気を感じて聡子は顔をあげた。
ほこらの向こうがわにかしまさんが現れていた。
耳まで裂けた口。
赤い眼。
恨みをこめた悲しい表情。
両手、両足のない姿。
じぃーっと聡子の顔を覗き込んでいる。
かしまさんが訊いてきた。
(右足はいるか?)
「ハイ。それは私にとって必要なものです」
聡子は答えた。
(左足はいるか?)
「それも私にとって必要なものです」
(ワタシが怖いか?)
「…怖いです。でも私は逃げません」
(なぜだ?)
「ある人と約束しました。誰も犠牲者を出したくない。
もう誰も…」
かしまさんはさらに聡子を睨んでいた。
恐ろしい表情だが、聡子にはとても哀しげな顔に見えた。
そして……
消えた。
かしまさんは去った。
聡子は微笑んだ。
ヒロミを振り返った。
「ヒロミ。今日ウチ来る? お父さんとお母さんがついたお餅があるの。おばあちゃんがキナコをまぶす。おばあちゃんのキナコ餅、おいしいよ」
「ええ、でも太っちゃうしぃ…」
「かしまさんより、太るほうが怖いもんね!」
ふたりはきゃっきゃっと声を出してわらった。
「見て! 虹!」
ヒロミが空を指差した。
きれいな虹が橋をかけていた。
古代の人は川面から立ち上がる虹を見て、蛇神が立ち上がったのだと思った。
七色の虹は敬意をこめて龍と呼ばれる。
聡子には虹の上に立ち、天にのぼるお万阿の姿がはっきりと見てとれた。
聡子はお万阿に向かって手を降った。
涙が自然に頬をつたい落ちたが、その顔は晴れやかだった。
「ヒロミ!」
聡子は元気な声で呼んだ。
「なに?」
「ウチに来るの?来ないの?キナコ餅いらないの?」
ヒロミはちょっともじもじしていたが、すぐに笑みを返した。
「行く!」
加古川の町に少女たちの笑い声がこだました。
おわり。
第5番目の長編、完結です。最後までありがとうございました。
感想などいただけたら幸いです。
また次回作でお会いしましょう。
快盗ゼブラ。