「そんなのおかしい!」

聡子は思わず声をあげていた。

馬鹿げている!
ナンセンス!

見ず知らずの人間のためになぜ桂泉院が命を投げ出す必要があるのか。
生け贄だなんて!

とんでもない。

まったく何を考えているの。

「さとこ…」

桂泉院が静かに、諭すような声で言った。

「村人たちが苦しんでいる。放ってはおけません」

桂泉院はやさしげな笑みを浮かべた。

「でも…!」

「良いのです」

桂泉院の声は凛としていて、強い意志を秘めていた。

「今、私が贄にならなければ他の娘が犠牲になる。私はお殿様から離縁にされた身、今は仏に仕える身、龍神様が娶ってくださるのなら喜んで身をささげましょう」

「で、でも…」

「ひとは川無しには生きてゆけない。龍神様は恵みをくださる。私の身と引き換えに大勢の村人たちが豊かになるのです。これ以上の喜びがありましょうか」

お付きの尼たちがシクシクと泣き出した。
聡子の目にも涙が溢れだしていた。

「さあ、もう泣きなさるな。皆も元気で…」

桂泉院は手を合わせた。

■■■

「鐘の中に誰かいるのか?」

佐藤清一は鐘を睨んだ。

「私がやりましょう」

藤枝一馬が来ていた。
錫杖を構える。
埋め込まれたLEDが点滅を開始した。

「南無鹿島大明神!」

~レディ~

電子音声が呼応する。
一馬は錫杖を振り上げた。

見る間に厚い雷雲が渦を巻き始め、稲妻がたくさんの龍の形を作る。
おびただしい稲妻のエネルギーは錫杖に集まり、一本の太い雷柱になった。
一馬は奇声とともに、ミジャグジの巻き付いている鐘に向かって跳躍した。

天から真一文字に錫杖を振り下ろす!

~ライトニングシャフト~

閃光。

錫杖が稲妻を呼んだ。
集積された凄まじい稲妻のエネルギーは錫杖を媒介として恐るべきパワーを発動させた。
その破壊力はミジャグジの胴体もろとも重い金属製の鐘を叩いた。

ガアンッ…!!

電体の剣が鐘を真っ二つに割る。

ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアー!

葵星女の顔をしたミジャグジの断末魔がこだました。

綺麗に割られたスイカのように鐘は二つにわかれ転がった。


中には…

■■■

馬鹿げてる。
馬鹿げてる。

聡子は苛立っていた。
こんな封建的な。
時代錯誤も甚だしい。

時代錯誤…

そうか。今は江戸時代なのだ。
何をどう間違ったのか聡子は、聡子の意識は江戸時代に飛ばされた。
今ひとりの女性が生け贄にされる。
荒れ狂う加古川に突き落とされる。

なんとかして助けなければ…
なんとかして…

ああ…私、もうどうして頭悪いんだろ。
こんなことならもっと勉強しとけばよかった。
聡子は頭をかきむしった。
もう、この頭、しっかり働け。
これでは脳みそにシワがないみたいだ。
ゆで卵みたいにツルツルじゃない…

ゆで卵。

ツルツルのゆで卵たちが頭を寄せ合って泣いていた。
お付きの尼たちだ。
七人集まるとゆで卵か、餅がくっつきあっているように見える。

なんだかユーモラスだ。

餅…

あっ、そうだ!

■■■

加古川が増水している。
黒い水の流れは圧倒的水量で見る者を震撼させる。
村人たちの読経が流れていた。
桂泉院、いや、お万阿の方は白装束に身を包んでいた。
お万阿もまた合掌していた。
眉間に刻まれたシワはピリピリと痛いほどの緊張感を漂わせる。

加古川の中程には島がある。
中洲である。
中洲には生け贄のための小屋が建てられている。
小屋には小船で向かう。
今の水量ならまだ船で中洲まで行ける。
さらに増水すれば小屋も川に流される。
船頭はまだ幼さを残した少年だった。
お万阿は小船に乗った。
少年はつらそうに目をそらせる。

船が出る。

「待って!」

慌てて駆け込んできた尼があった。
息をきらせて、小船に乗りこんできた。
反動で船が揺れる。

「まあ…あなたは!」

尼はお万阿に向かってウィンクした。
この時代では理解できる者はいないが。

「さとこ!」

お万阿が声をあげた。

「桂泉院様。私も行きます」

「さとこ。いけません! なにを言うの!私ひとりで充分です!」

「私にまかせて!」

「おろかなことを!もっと命をだいじになさい」

「それはこっちのいうセリフ。早く船を出して!」

聡子は艫綱をほどいた。
加古川の急流は小船をあっというまに川の流れにのせる。

「さとこ! 」

お万阿の悲鳴のような声がこだました。



つづく。