「一馬!一馬!東だ!」

藤田健吾は走り出していた。
邪気が渦をまいている。
触れれば切れそうな悪意を持った邪気。
己の鍛えられた鋼の筋肉がひきつれんばかりに緊張している。
おくれ毛が逆立っていた。

ミジャグジ。

古代の神が目覚める。
今、時を同じくして、この空間のなかにミジャグジはいるのだ。

鬼気迫る。
鞭打つほどの鬼気。

くわっ!
藤田健吾は息を絞り出した。

「一馬!走れ!走るんだ!」

藤枝一馬もまた痛いほどの緊張感のなか闘志をみなぎらせた。

「おう!」

その体はむしろ好敵手を迎えて喜びでうち震えている。

灯籠の脇に諏訪衆のひとりが倒れていた。
諏訪衆の老人は体を硬化させ、白目を剥いている。
一馬が駆け寄った。

「どこだ?!」

肩をゆする一馬の手はまるで墓石を揺するがごとく手応えに感ずる。
老人は「うう」とうめいたきり、なにも答えない。
その顔は恐怖に震えている。

「何を? 何を見たのだ? 教えてくれ!」
老人の唇が震えている。
ぽぽぽとまわらぬ舌で何かを訴えている。

一馬は唇を読んだ。

あ、お、い…

あおい。

葵 星女か?

一馬はあたりを見回した。
寺の広い敷地。

葵 星女と孫娘の聡子。
本間美紀子、本間総一郎。

本間一家が寄り添っている。
一馬は葵星女を見つめていた。
葵の巫女の二代目。
50年に一度の霊能者。
我知らず一馬は歩き出していた。

葵 星女…

葵 星女はしっかりと聡子を抱きしめている。

一馬は木刀を腰だめにした。
ゆっくりと歩を進める。

「一馬ぁ!どうしたぁ!」

藤田健吾の声が聞こえる。

カッ…!

稲光がフラッシュのようにあたりをてらした。

ゴロゴロゴロゴロ…

つづく雷鳴は地響きに似ていた。

一瞬であるが一馬は見た。
稲光に照らされた葵 星女の影を。

「二代目様…」

一馬の声はつぶやくように低く。

カッ…

また稲光。

一馬はゆるりと木刀を構えた。

「失礼ながら二代目様の影が…」

葵 星女はゆっくりと顔をあげはじめた。

その口は耳まで裂けて…

「二代目様のかげは長い。稲光に照らされた影は異様に長い。ひとのモノではない。まるで蛇だ」

くわっ!

葵星女はゆっくりと顔を上げた。
おお、その目には赤い光が…

「一馬ぁ!どうしたというのだ!」

藤田健吾の声が聞こえる。

その刹那、一馬は木刀を横に払った。
何のてらいもなく木刀は葵星女の頭の側面を捉える。

一瞬早く葵星女が飛んだ。
聡子を抱きかかえたまま…
一馬の剣跡はむなしく葵星女のいた空間を切る。

くわっ!

葵星女の目が火よりも赤い魔性の妖光を発した。

「一馬ぁ!見るな!見てはならん!」

無論。藤田健吾の忠告ならざるも一馬は見ていなかった。
一馬の目は葵星女に近づきながらしっかりと閉じられていた。

鹿島流奥義。閉眼剣。

意識のすべてを耳に集中し、音を気配を視覚に変える。

今、葵星女が空を飛ぶ。
飛龍。
葵星女。いやミジャグジはその長き体を伸ばし天にのぼる。

「逃がさん…!」

一馬は駆けた。
どこへ行こうと決着をつける。

蛇体の葵星女は大きく弧を描き、はるか50メートル先に着地した。
そのまま蛇行しながら地を這う。

「ななな…」

中原は腰を抜かした。
そのままベタリと尻を着く。

「そ、そんな…葵星女様がミジャグジ様じゃったと…!」

ひい…!

他の諏訪衆たちもあまりの急展開に呪言もわすれ呆然とした。

シャシャシャシャ!

鞭のごときスピードで葵星女、いやミジャグジが迫ってくる。

「わ、わあ!こっち来る!」

「お助けえ!」

諏訪衆たちが地に伏せた。

「駄目だ!にげろ!」

ミジャグジの後を追う一馬が叫んだ。

「南無、鹿島大名神!」

遮二無二突っ込んだ一馬は、しかしミジャグジの強靭な尾に弾き飛ばされ、楠の大木にその体をもろに打ちつけた。
折れた肋骨が体内にささり、一馬の口から血しぶきとなって飛んだ。



つづく。