最近すごく違和感を感じてしまう、母との会話。



「今日はこんな事があってこんな事もあって忙しくて仕方なかった」

「もう疲れて疲れて仕方ない」


や、まあ、そんな日もあるでしょうけど。

なんか毎日そんな事言ってない?

なんだろう、なんでこんなに「大変だ~」って連発するのかな。


家事ってメリハリつきにくくて、自分が休む時間がなかなかとれなかったりするのは私にもわかるんだけど・・・

そうは言っても時間つくって休む事もできると思うんだけど。

だいたいそんな風に言ってて自分が余計しんどくなるんじゃないの?



違和感を感じ始めたのは最近だが、

私の小さい頃から、母はずっと同じような事を言っていたと思う。


でも私は、つい最近までそれに違和感を感じずにいたのだ。

その事にしみじみと驚きを覚える。



真面目で、働きもので、優しくて、頑張りやの母の言う事は、絶対に正しい。

母の言う事に逆らうなんて、とんでもない。


どうもそんな風に思っていたらしい。

それが自分にとっては当たり前なので、そんな風に思っているという事すらわからなかったようだ。



母が大変と言えば、それに同調し、「ああ、大変なんだね~」と、

少しもの悲しい旋律に波長を合わせる。

そうする事が礼儀のような感じだった。



今は、「ちょっと待った~!」と。

大変だと思うより、楽しいと思った方がいいんじゃないの?と、

その方が自分が楽なんじゃないの?と、

違和感を感じるのだ。



私が残業続きだったりすると、

すかさず「大変よねえ~」と言われるが、

別に大変だと思ってないし。

もし大変だったとしても、そこをフォーカスしてどうすんの?

より大変だな~って気持ちになるだけじゃん?


「○○さん、大変よねえ~」

というフレーズもよく出るが、

そんなの本当に大変かどうか本人じゃなきゃわかんないし、

そんな風に思うのって、○○さんに失礼なんじゃない?

などとも思う。


まあ、母はどうやら「大変なのに頑張ってる自分」が好きらしいので、

正面切って反論したりはしないけど、

そういう話題は超さらりと聞き流すようになった。



また、「近所の人に何て言われるか」というのもよく出るフレーズ。

昨日は思わず「え、何?自分の保身のためにやってるの?」と返してしまった。

以前の私なら考えられない。



以前は、母に言い返す = 母に逆らう事

だと思っていた。


今は、私と母は別の人間だから、それぞれの考え方がある、と思う。


そりゃ相手の大変さに同調する時もあっていいと思うし、

母に逆らったり反発したりしたいわけでもないのだけど、

このほうがいいんじゃないの?って事は言ってもいいよね。

いや、言った方がいいよね、と今は思うのだ。


母に別の意見があるなら、私はそれを聞くし。

聞けばそれに対する私の意見も出るだろうし。



今書き出してみて、何と当たり前の事なんだろうと思うが、

それだけ母の影響って大きかったって事なんだろうなあ~。



もしかしてコレ、遅すぎる反抗期なのかも。



そしてもし、自分の内面を見つめる機会がなかったら、

この感覚に何の違和感も感じずに一生を終えていたのかもね。



ここまで自分の内面を見つめる事ができるようになったのは、

色々な出会いがあって、そこに意識を向ける事ができたから。


ご縁が続く事も続かない事もあるけれど、

多分皆繋がっている所はひとつなのだと思う。



全ての出会いに、感謝♡