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銘菓ひよこをいただいた。


下町そだちの私にはなじみ深く、

かわいらしいフォルムが魅力的な、

子どもの頃から大好きなお菓子だ。


子どもの頃、

いわゆる貧乏人の子だくさんだった我が家は、

いつも騒がしく、兄弟げんかが絶えなかった。


狭い家で、自分の居場所がなく、

一人でベランダに出ていたり、

早朝からあてもなく自転車で走りに行ったりしていた。


現実の世界は楽しいものではなかったし、

ものごころついた時から、

何故皆必ず死ぬ事がわかっているのに、

死んだらどうなるのかがわかなないまま生きていられるのか不思議だった。

誰もそれを教えてくれなかった。

死が終わりであり悲しみであり不幸であるならば、

人は皆不幸になるために生まれてきたって事なんじゃないかと思っていた。

それなのにどうして心からなど笑えましょうやと思っていた。


愛する人が死んでしまう事を考えると恐ろしくなった。

母が買い物に行くと

「もし今お母さんが事故にあって死んじゃったらどうしよう」

などと想像してよくトイレや押し入れでこっそり泣いていた。

そのくせ、「自分は死んじゃえたらどんなに楽だろうか」といつも思っていた。

「でも、お母さんが悲しむだろうなあ~」と、思いとどまっていた。


小さい頃から自己否定感の塊だった私は、

集団生活など大の苦手。

小学校に入学した時は、

何故こんなに沢山の見ず知らずの人間の中に

突然放り込まれなければならないのかと、愕然とした。

小学校低学年の頃、学校にいるといつも頭が痛かった。

それが普通なのだろうと思っていた。


一人で空想の世界に浸るのが好きだった。

本や、マンガ、アニメなど。

その世界に入り込めば、嫌な事を忘れられた。

空想の中だけが、私が安らげる場所だった。



・・・今は?

今は、そんな事はない。

自分の居場所を自分で選べる。

自分の生き方を自分で決められる。


でも、まだ子どもの頃のまま、形状記憶されちゃってる心がある。

もうとっくに手放していいものを、まだ大事に持ってる。


当り前だと思っちゃってるけど、

それ、本当に私が持っていたいものなのかな?

いらなかったら、手放していいんだ。


昔の私はひよこだったのだ。

親の庇護なしには生きられなかったのだ。


今の自分の姿はどう?

もう一度、しっかり見よう。