結婚と人生
お金がないことは
確かにつらくて苦しい。
さらに先長く思えて
なかなか暗闇から抜け出せず
倦怠感がよりいっそう強まることも否めない。
だけどそのことを
人生がつまらない原因だと
決めつけてしまえば
前に進みようがないんじゃないかと思う。
私が思う結婚とは
第一に犠牲。
楽しいだの愛だの情だの
そんな言葉を並べても
結婚は成り立たない。
何かを犠牲にしてでも
家庭を守らなきゃならない。
私はそう思っている。
少なくとも
神の前で誓ったあの日は
心の底から真剣だった。
犠牲と言ってしまえば
目的のために
自分が我慢してる、
自分が生贄になってるような
傲慢な響きに近いものが
あるかもしれない。
けどそんなつまらないことを言いたいわけじゃない。
たとえ犠牲になっても
結婚したからには
こらえなくてはならない山が
数多くあり続ける、
ということに繋げてるだけで。
だけど、それを言えば
私の夫には
「生活するためだけの人生」
イコール、
「つまらない人生」
となってしまうらしい。
欲しいものも買えない
好きなものも食べられない
出掛けることすら
自由にはならないだろう。
私も同様に
不満はたくさんある。
大抵は同じ理由で
全ての責任を投げ出してしまいたくなるような
なんともやるせない思いで見上げればいつも曇り空のような。
仕方ないことだろう。
けれど見方を変えれば
それは理屈にもなる。
好きなこと、
好きなもの、
それは私欲であって
自分だけの利益をはかろうとする欲望にすぎない。
ようするに、
この不自由なる結婚生活が「つまらない人生」になってしまった時点で、私の夫が家庭に寄せる愛情よりも、まだ優先するものがあるのが分かる。
彼は「違う」と言うだろう。
それが嬉しくもあり、
また悲しみを増す言葉でもある。
難しい上に
なかなかうまく伝わらない、
それがもどかしく
また話は深刻になっていく。
優しさと気遣いは
時にその意味を覆す。
人として生きるとは
意識すれば難しいものだ。
たまに生きることすら
止めてしまいたくなっては
息が止まりそうなほどに
涙が溢れてくる。
夫を愛してる故に。
「お金」は幸せになるための手段の一つであり、「幸せ」ではない。
この言葉を信条にして
なんとかやってきた。
だが夫は
お金がなければ
家庭が荒むと決めつける。
そこで私は
お金が全てをコントロールしているわけではないと言うだろう。
終わりのない言い争い、
永遠に出ない答え。
いや、
答えなんてものは、最初からないんだろう。
ないからこそ私たちは壁にあたりながら結婚生活を続けているのだ。
結婚とは
忍耐、犠牲、
苦しみとため息。
そしてその困難とは比べるに値しないほどの幸せがあるもの。
大きな幸せを得るには
大きな難関があるだろう。
けれどそれは
やはり自分が望んだことで
誰に強制されてるわけでも
脅迫されてるわけでも
なんでもない。
嫌ならやめてしまえばいい、
逃げてしまえば
きっと楽なんだろう。
続けるも終わるも
決める権利があるから。
でも、もし続けるなら
つまらない人生だとは言ってはならない。
そう言ってしまったら
もうそこで人生はつまらない、と肯定することになる。
そんなのはあまりにも
自分を裏切ることになる。
未来予想図なんて全くなく、
ないからこそに
私達は共に暮らすのだろう。
また不安な時は寄り添い
涙するほどに笑い
失えば繋ぎ
積み重なる過去が宝であり
そこに金銭的な価値は生まれるだろうか。
その宝を得るまでの過程には
財布が出る場面はそんなにないだろう。
お金がなくとも
幸せで満たされた人生を送ることなど安易ではないが、不可能ではないのだ。
ここから先は自分次第、
泣くも笑うも
目一杯楽しんで歩いていく
進めば進むほど
広がっていくのが
人生だろう、
つまらないものになるも
充実したものになるも
お金ではない、
「自分」なんだ。
腹が立っても
裏切られても
どんなことをされても
心底憎めない。
何を知っても
愛が薄れることはなかった。
伝わらなければ
伝えようと必死になり
私はいつだって
夫に正直に生きてきた。
だからどんなときも
私は嘘をつきたくない。
お金じゃない、
そんなんじゃないよ、
きっと必要なのは
お金を稼ぐことではなく
お金がない今に耐えることなのかもしれないのだから。
極論でいえば
人生が豊かなものになるにも
大きな財産を残すにも
一番はお金ではなく
心に強い信念を持ち続けることだと思う。
いつか死にゆくとき
この考えが正しかった、
そう言えるように
自分が貫くべき信念を見つけ
己の犠牲を惜しまず
この結婚生活において
夫を愛し続けたいと思った。
そう、心から願ってる。
確かにつらくて苦しい。
さらに先長く思えて
なかなか暗闇から抜け出せず
倦怠感がよりいっそう強まることも否めない。
だけどそのことを
人生がつまらない原因だと
決めつけてしまえば
前に進みようがないんじゃないかと思う。
私が思う結婚とは
第一に犠牲。
楽しいだの愛だの情だの
そんな言葉を並べても
結婚は成り立たない。
何かを犠牲にしてでも
家庭を守らなきゃならない。
私はそう思っている。
少なくとも
神の前で誓ったあの日は
心の底から真剣だった。
犠牲と言ってしまえば
目的のために
自分が我慢してる、
自分が生贄になってるような
傲慢な響きに近いものが
あるかもしれない。
けどそんなつまらないことを言いたいわけじゃない。
たとえ犠牲になっても
結婚したからには
こらえなくてはならない山が
数多くあり続ける、
ということに繋げてるだけで。
だけど、それを言えば
私の夫には
「生活するためだけの人生」
イコール、
「つまらない人生」
となってしまうらしい。
欲しいものも買えない
好きなものも食べられない
出掛けることすら
自由にはならないだろう。
私も同様に
不満はたくさんある。
大抵は同じ理由で
全ての責任を投げ出してしまいたくなるような
なんともやるせない思いで見上げればいつも曇り空のような。
仕方ないことだろう。
けれど見方を変えれば
それは理屈にもなる。
好きなこと、
好きなもの、
それは私欲であって
自分だけの利益をはかろうとする欲望にすぎない。
ようするに、
この不自由なる結婚生活が「つまらない人生」になってしまった時点で、私の夫が家庭に寄せる愛情よりも、まだ優先するものがあるのが分かる。
彼は「違う」と言うだろう。
それが嬉しくもあり、
また悲しみを増す言葉でもある。
難しい上に
なかなかうまく伝わらない、
それがもどかしく
また話は深刻になっていく。
優しさと気遣いは
時にその意味を覆す。
人として生きるとは
意識すれば難しいものだ。
たまに生きることすら
止めてしまいたくなっては
息が止まりそうなほどに
涙が溢れてくる。
夫を愛してる故に。
「お金」は幸せになるための手段の一つであり、「幸せ」ではない。
この言葉を信条にして
なんとかやってきた。
だが夫は
お金がなければ
家庭が荒むと決めつける。
そこで私は
お金が全てをコントロールしているわけではないと言うだろう。
終わりのない言い争い、
永遠に出ない答え。
いや、
答えなんてものは、最初からないんだろう。
ないからこそ私たちは壁にあたりながら結婚生活を続けているのだ。
結婚とは
忍耐、犠牲、
苦しみとため息。
そしてその困難とは比べるに値しないほどの幸せがあるもの。
大きな幸せを得るには
大きな難関があるだろう。
けれどそれは
やはり自分が望んだことで
誰に強制されてるわけでも
脅迫されてるわけでも
なんでもない。
嫌ならやめてしまえばいい、
逃げてしまえば
きっと楽なんだろう。
続けるも終わるも
決める権利があるから。
でも、もし続けるなら
つまらない人生だとは言ってはならない。
そう言ってしまったら
もうそこで人生はつまらない、と肯定することになる。
そんなのはあまりにも
自分を裏切ることになる。
未来予想図なんて全くなく、
ないからこそに
私達は共に暮らすのだろう。
また不安な時は寄り添い
涙するほどに笑い
失えば繋ぎ
積み重なる過去が宝であり
そこに金銭的な価値は生まれるだろうか。
その宝を得るまでの過程には
財布が出る場面はそんなにないだろう。
お金がなくとも
幸せで満たされた人生を送ることなど安易ではないが、不可能ではないのだ。
ここから先は自分次第、
泣くも笑うも
目一杯楽しんで歩いていく
進めば進むほど
広がっていくのが
人生だろう、
つまらないものになるも
充実したものになるも
お金ではない、
「自分」なんだ。
腹が立っても
裏切られても
どんなことをされても
心底憎めない。
何を知っても
愛が薄れることはなかった。
伝わらなければ
伝えようと必死になり
私はいつだって
夫に正直に生きてきた。
だからどんなときも
私は嘘をつきたくない。
お金じゃない、
そんなんじゃないよ、
きっと必要なのは
お金を稼ぐことではなく
お金がない今に耐えることなのかもしれないのだから。
極論でいえば
人生が豊かなものになるにも
大きな財産を残すにも
一番はお金ではなく
心に強い信念を持ち続けることだと思う。
いつか死にゆくとき
この考えが正しかった、
そう言えるように
自分が貫くべき信念を見つけ
己の犠牲を惜しまず
この結婚生活において
夫を愛し続けたいと思った。
そう、心から願ってる。
