楽に楽しく、 やろうぜぃえ~ぃ 石垣島 しょうくう  小空~

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「いつまでも悔しさ」にじむ涙 阪神大震災から31年、各地で追悼行事 記憶の継承誓う

産経ニュース1/17(土)12:26から

 

「1・17のつどい」が営まれる東遊園地には、「1995 つむぐ 1.17」の文字が浮かび上がっていた=17日午前5時46分、神戸市中央区(土井繁孝撮影)

 

6434人が亡くなり、3人が行方不明となった平成7年の阪神大震災は17日、発生から31年となった。兵庫県内各地では被災者や遺族、震災を経験していない若者らが発生時刻の午前5時46分に黙禱(もくとう)し、犠牲者に祈りをささげた。神戸市中央区の公園「東遊園地」では竹や紙の灯籠計約7千本に火がともり、震災の記憶と教訓をつないでいくとの思いを込めた「1995 つむぐ 1・17」の文字が浮かび上がった。

鎮魂に包まれる東遊園地

東遊園地では、同日未明から多くの人々が訪れ、揺らめく灯籠の炎を前に静かに手を合わせた。灯籠には「忘れない」「繋(つな)ぐ」「希望」などと書かれ、平成23年の東日本大震災の被災者に寄せたメッセージもあった。

「思い出す子供たち」

東遊園地を訪れた大阪府の建設業の50代男性は、震災前に神戸市内の幼稚園で教諭を務め、複数の教え子を震災で亡くした。「子供たちのことで思い出すのは不思議と笑顔ばかり。指導の中で叱っても『先生、先生』と寄ってきてくれるかわいい子供たちだった」と振り返る。「今生きていれば30歳を越えている。震災があったから心の中でずっとつながっている」と目をうるませた。

「悔やみきれない」

「いつまでたっても悔しさが残る」。そう話すのは、震災で父を亡くした神戸市長田区の松嶋美見さん(74)。文化住宅で一人暮らしをしていた当時88歳の父親は建物の下敷きになって亡くなった。「まだ働いていて元気な父だった。一緒に住む家を探している矢先だっただけに悔やんでも悔やみきれない」と悼んだ。

「今でも涙」

神戸市垂水区のパート従業員、吉本薫さん(57)は、同市東灘区の実家で被災し、倒壊した建物の下敷きになり生き埋めになったが、父親に救出された。「今でも思い出すと涙を流してしまう」と振り返り、自身の娘には「災害で絶対に命を落とさないよう準備してほしい」と伝えていくつもりだ。

孫とつどい参加

母親を亡くしたという神戸市灘区の会社員、介中孝之さん(57)は小学4年の孫を連れて、初めてつどいに参加した。孫が同伴してくれたことに「亡き母も喜んでくれているはず。今回孫も一緒に来てくれて震災のことがしっかり伝わったように感じる」と手応えを口にした。

「強く生きたい」

震災発生日に生まれた兵庫県尼崎市の会社員、中村翼さん(31)は「毎年この日は強く生きていこうという気持ちがわいてくる」といい、「震災を知らない世代が増え、震災を経験した人たちが年月を重ねるごとに減っている。家族で親から子供へ、次の世代につなげていきたい」と話す。

震災を経験していない若い世代も、教訓を継承する決意を新たにした。

つどいに初めて参加した大阪府寝屋川市の大学3年、安井みゆりさん(20)は「私自身は大きな災害を経験していないが、つどいに参加することで災害について考えるきっかけになる」といい、「教職を志望しており、今後の災害に備え、語り継がれてきたことを子供たちに伝えていきたい」と話した。

神戸市長田区でも

神戸市長田区では、地震発生直後、同時多発的に火災が発生。多くの人が犠牲になった。同区の大国公園では17日未明から、地元有志による追悼行事が行われ、午前5時46分、地元住民ら約100人が同公園に集まり黙禱(もくとう)した。

地元に住むいずれも小学5年の江振宇(こうしんう)さん(11)と小西碧人(あおと)さん(11)は、小学校の授業で震災について学び、初めて追悼行事に参加した。江さんは「犠牲になった人のつらい思いを未来に残していきたい」。小西さんは「ラジオを準備したりハザードマップを見直すなど、自分にできることをして災害に備えたい」と防災意識の向上を誓った。

西宮の商店街でも…

阪神淡路大震災で多くの店舗が全半壊した兵庫県西宮市の西宮中央商店街では17日、地震発生直後の時を刻んだまま止まった大時計のモニュメント前に、地元住民ら約15人が集まり、午前5時46分に合わせて犠牲者に黙禱をささげた。

「昨年、震災から30年がたって、もうここで黙禱(もくとう)するのはやめようかと思っていたが、ここ数年で商店街の復興に携わったメンバーが何人か亡くなり、なんとなく責任を感じて今年も来た」。

こう話すのは、同商店街で呉服店を営む松下治正さん(74)だ。生まれ育ったこの場所で自身も被災。すさまじい揺れで飛び起き、外に出ると商店街の多くの店舗の1階部分が押しつぶされていたことを今も鮮明に覚えている。「震災を経験した者として、寿命のある間は黙禱を続けていきたい」と話した。

同県西宮市の西宮震災記念碑公園では、犠牲者の名前を刻んだ石碑に白いカーネーションが供えられた。

震源となった同県淡路市の北淡記念公園では、遺族らが淡路島の犠牲者数と同じ63個の竹灯籠を池に浮かべた。

 

 

小空の一日一句

しゃきしゃきの音なつかしき霜柱  小空

命どぅ宝(ぬちどぅたから)

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