魂の夢を叶えよう!
この言葉を聞いた時、どんな感覚がしますか?
ちょっとオーバーな感じがしますでしょうか^ ^
夢なんてないじぶんには、たいして関係のないことだ…
そう思って、それ以上踏み込まないようにしたり…
そんな方にこそ、
こちらを読み進めてみてほしい。
なぜなら…
魂の夢が関係ないと思っている場合、
自分じゃない誰かの基準で描いた夢、
世間がいうところの夢、
世の中の集合意識の夢を叶えようとしていたり、あるいはもうすでにいくつも叶えてきているからかもしれないから。
そして、その事自体は何も悪くないし、
叶えられたこともステキだ!
私の歴史でいうとそれは、
例えば、受験とか就職とか出世とか結婚とか家族のカタチとか、起業やそれにまつわった事の中にすら、じぶん以外のマインドが由来だった夢はたくさんある。
分かりやすいので言ってしまうと、
私が受験した学校は、自分が本当に行きたかったから受けたのではなく、まあ狙えそうな中から算出されたものだったし、そもそも進学したかったのかすら、本当のところは分からない。
こんなことを言うと、決して余裕たっぷりなはずもなかった中から学費etc を払ってくれていた親に面目が立たなさそうなので、
進学した人生でよかったという私で今を生きるしかない。
健全に納得を選んでいる、というのが近い。
就職なんて、その極み。
当時は超就職氷河期。
就職セミナーで何度か話を聞いて。
そのうちに、やりたい仕事を掲げるのでなく、
募集が出てる会社の中から興味のある会社を選び、その会社の中にやりたい仕事を見つけ、
そして内定を獲得すること…
いつの間にかそれが夢にすり替わっていた。
幼かったあの頃、大きくなったら◯◯になりたいです!なんて無邪気に答えていたわたしはどこへやら…です。
そんなもんだわね。。。
どこからともなく、そんな声が聞こえてきました。今でも聞こえてきます。
もちろんそれも間違いではない。
もっというと、結婚もそうだ。
あの時それを選んだのも自分。
そしてたいした違和感もなくそれを選ぶことができたのは、自分にとっての幸せを感じるままに選べなかった、わたしの臆病とあえて下げた感度によるところも大きい。
※魂の夢とはを語るために、あえて強調して書いています。書いてしまえるくらい「否定」を取り扱ってきた上で書いています。過去を否定しているのではありません^ ^
そしていずれも、わたしは魂の声を聞いていなかったんだよね。
もし魂の声を聞いていたならば…
違うことに挑戦していたし、あのタイミングでは結婚を選んでいなかっただろう。
でもあの時においての認識は、べつにやりたくない事をやったわけでもなくて、叶えようとそれなりに頑張った。叶ったら嬉しかった。
だからね、気づかないんです。
じぶんにあとほんの少しでも、勇気と、小さな違和感をすくう鋭敏さがあったなら、違う選択をした。そう言えてしまう選択をしてることに…
魂という言葉をつかわずに表現するならば、それは、
勇気があったら迷わず選択したかったこと!!!
そして、勇気があったら迷わず選択したいこと!!!
でしょうか☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
きっとあるよね?今でも。
アラサーでもアラフォーでもアラフィフでもアラカンでも。
子供がいようがいまいが。
お金の心配があろうがなかろうが。
すっかりどこかへ追いやっているそれに気づこうじゃないか!
そして、気づいたなら叶えようじゃないか!
あの時、勇気がなくて、臆病で、自分の心を鈍感にして、なんとなくを生きてきたけれど。
そのまま自分をだましだまし生きるのも、もう飽きた!
スケールの大きい小さいに関わらず、
じぶんの心が望んでいることなのか?
他の誰かや何か由来の「ステキ」なのか??
そこの見分けがつくだけで、全然ちがう!
そして、心の奥底に押し込めてある魂の夢。
勇気があったら迷わずやりたいこと!!!
これを叶えようとしようではないか☆彡
心の底にある思いに気づくのには、アロマが効果的☆彡
なぜなら香りは、私たちの考えや判断を介さず、本当の気持ちを呼び覚ますから♡
わたしたちがいくら、環境のせいにしても、状況のせいにしても、年齢のせいにしても、自分で見積もった能力のせいにしても・・・
気持ちは消せない。
何度でも、たぶんいつか肉体を離れる時までも、私たちにうったえかけてくる。
それをずっと抑え続ける????
そっちの方が大変だ!!!
その違和感をごまかし続けることの心地悪さをわたしはよーーーく知っている
そろそろやめたい。
ほんとの気持ちや自分への期待に蓋をするのをやめて、もっと楽に、堂々と生きたい。
そう思っている人は、ぜひ来てね♡