母のマッサージを週一程度で続けています。
アロマどんどん塗ります。
6月、7月のつらさがウソのよう
と母は言って、捨ててしまいたいと思っていた腕は、今ゆっくり上にあげることができます
この人の復活力はすごいなといつも思います。
けっこう深刻な症状の病名もそれなりの病からもいつも必ず復活します。
そして、そこにある共通点・・・
それは、生き方在り方を見直すということ。
本人にその自覚はありませんが。
だからそれなりに繰り返すのですが
まぁ、そこは近からず遠からずからフォローできればいいかなと今は思っています。
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そして、昨日も母のマッサージしに実家に寄りました。
その時とりとめのない話をしたりします。
目が合わない、顔を合わせないからこそ多岐にわたる話題について話せるのかもしれません。感情的にならず、聞き流せることもあるのかもしれません。
そして、よくおばあちゃんの話になったりします。母にとってはお姑さん。その名もカツコ。
いろんな意味でインパクトのあるキャラでした。私のおばあちゃん。
昨日、母が言いました。
「私の母(私にとってのもう一人のおばあちゃん)は、貧しくても自分から仕事を求めて何でもして働いていた。
そこからするとうちのおばあちゃんは、恵まれたお嬢さんで苦労もしてないはずなのに、それが幸せだと思えなかった。」
みたいな感じで・・身近な同年代の大正生まれの女性2人を比較して、幸せの感じ方受け取り方について、カツコの価値観について物申していた。
私は母の肩をマッサージしながら言った。
その人が幸せかどうかは、他人が決められることじゃない。
他人から見て幸せ、恵まれてると思っても、その人には深い心の闇や傷があるかもしれないし、その背景は誰にも分からない。
だからおばあちゃん(カツコ)は一般的に恵まれていたのかもしれないけれど、おばあちゃんにしか分からない悲しみがあったかもしれないじゃない。
芸能人だって、めっちゃ華やかに見えるけど、その人の背景は分からないじゃない。
私だってそうだよ。ある人からは結婚して子供もいて好きな仕事出来てて・・って言われたこともあるけど、自分の中にはいろんなもん抱えてるんだから。でもその背景は誰にも分からないでしょ。
母は、そうだね〜。あんただって・・・
みたいな・・的が合ったような合わないような返事でしたが。笑
そんなことはどうでもいいんです。笑
私の何かを分かってもらおうとした訳ではないし。
言いたいのは。
見えるとこだけ見て、うらやましく思ったり妬んだり、あるいは否定したり・・・
また、比べて落ち込んだり喜んだりするのは、意味のないことだということ。
つい比べて落ち込むのも分かるけど
それはそれとして。
その人の目に見えない背景も自然と視野に入れておく想像力や許容や思いやりをできるだけ持っておきたいと私は思う。
そして、自分の苦しみを誰も分かってくれない・・と卑屈になるのではなく、気持ちをうちあければ必ず受け止めてくれる人はいるので、自分から孤独になるなよということ。