モヤッの正体。 | ଘ♡ଓ:゚全てのことを祈りと共に ⋈。♡:* :゚

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古代エジプトの香・キフィが由来のペンネーム
いつか生きた人生で、祈る事は生きる事だったよう。
今また、道が繋がっていくのを感じてる。
あと2年で旅立つ息子との日常についても多めに記録。



小さな「モヤッ」

その正体を見ていくということを、
昨年は特にしたように思います。


その頃、感じていた「モヤッ」



それは、自分の行動が

相手にとって「当たり前」になっている
私がそうする事を当然ながら期待されている


そう感じた時に現れてきていたのです。



私がそうする事を
誰かに頼まれた訳でもないし、

私は当然のように、自らの意思でそうしていました。

そのはずなのに、なぜ「モヤッ」としていたのか。。。




少し抽象的なので、
ひとつ例をあげます。


何度か書いてもいますが、
育ってきた家族の中においての例をあげます。



私が育ったのは、3世代7人家族。
日常でそれぞれの間で起こるちょっとしたいさかい。


それは、
親子ゲンカ
夫婦ゲンカ
姉妹ゲンカ
嫁姑ゲンカ


だったり、まぁ色々。
どこのお家にもある光景でしょう。


もちろん、そのいさかいの当事者になることもありましたが、

そうでない時には、努めて
私は場に馴染もうとした。


たとえば、

お母さんとやり合った後のおばあちゃんの
「歳とって悲しい。」みたいな泣き言を

本当は聞きたくはないのだけど、
進んでおばあちゃんのとなりに居るようにしました。

そして、その後で台所に行くと、
今度はお母さんの腹立ちや
嫁に来てから何十年の中の許しがたい記憶を

返事をするようなしないような感じで
ただ聞くことにもなりました。



いちばん下の妹とは6つ歳が離れているので、
私が小学生の時なんかは、
妹はまだとても小さいような気がして、

お母さんに怒られてスネている彼女の気分を紛らわすように
関わろうとしていた記憶があります。



7人もいますので、
どこかで誰かが
何やら言い合っている。


そんな状況を、
離れたところから何となく気にして、
私はこの後どう振る舞えば良いか

自動的に頭の中のコンピューターが作動していたように思います。



私がどう感じるか。
私がどうしたいか。


ではなくて、


私はどうすべきか。


それが行動の指針になる事が多かった。

私まで感情をむき出しにしては、
この家族はうまくいかないんじゃないか。


いつの間にか、
そんな幻想を抱いてもいました。



そうやって頑なになってしまったのは、

自分の気持ちに気づく事ができない。
「こうすべき」を無意識に選択し、自分の意思だと錯覚する。


自分とのコミュニケーションのいちばんの核となるルートの欠落、遮断です。



昨年、そこに取り組んでいったとき、
私は、自分の中の小さな小さな違和感。
「モヤッ」の存在に気づく事が出来ました。



その正体は、



怒り。




意外なことに、


私は、怒っていたんです。






みんな好き勝手やりやがって!!





…いやいや汗

おばあちゃんに頼まれた訳でも
お母さんやお父さんにそうしてくれと言われた訳でもありません。

私が、すすんでそうしていたのです。




きっとそうした方がいいのだろう。
みんなそれを望んでいるのだろう。

それが私の生きる道。
そこで私が生き延びるすべ。


…………


はいはい、そうすればいいんでしょっ!!!





と、いつしか怒りを蓄積してきていたんです。

勝手に、ね。



誰も頼んではいないのです。

誰からも頼まれてはいないのです。



私が、そのように振る舞うこと。

ハルナは冷静に、話を聞いてくれる。



相手の中に、
そういう何となくな法則をコツコツと築いてきたのは、私。




ここではからずも強固になっていった
自分とのコミュニケーションのいちばんの核となるルートの遮断は、

きっと、家庭以外における人間関係でも
けっこうあったでしょうね。。




この怒りに気づき、認める経験をしたことで、


「モヤッ」に気づいた時、
その正体が自分の中のどこにあるのか、
モヤッとした事自体を無視さえしなければ、
分かるようになりました。


ちなみに、
もし、無視したら
痛いしっぺ返しがくるよ怒

そういうフィードバックは
たくさんたくさんあったし、今でもあるよ怒




自分の感情とのコミュニケーションルートを遮断し、

こうした方がいいんだろうな〜 
あるいは、
相手が望んでいるであろうと想定した方に、瞬時に合わせる 

という事の方が多い生き方してきました。


それが普通でした。 
そして、それが普通だと思っているので、
「モヤッ」には気づかなかったのだと思います。
いや、気づかないように処理していたのかもしれません。 



私は、 人生半分きて、
ヨガがきっかけになり
NLP心理学を学び
そして更に、アロマをたくさん使うようになった事が、更に人生の扉を開き



自分が感じた事 
自分の感情 
自分の思い 

など

思考が始まる、そのちょっと前にある
これらのプロセスを 

ガン無視ではなく、 
ちゃんとそれをそれとして認識する 


本来ならば自然であったはずのプロセスを 
取り戻していっているのだと思います。 



だから、
自分の本心、感じた事
自分の言動との間に、
場合によってはギャップがある事

やっと少しずつ気づけるようになりました。

そのギャップを本能的に感じた時に 
「モヤッ 」とし、
私の場合それは、
往々にして「怒り」であることが多かった。




その「モヤッ」について。

長らくの間、ガン無視だったところを 
感性がキャッチできるようになったこと。 

まずこれ、第1歩。 


そして、そこで感じた「モヤッ」を、
これまた無視せずに、ちゃんと「モヤッ」のまま受け止めらるようになったこと。 

これ、第2歩。 



そして更に、
自分の思いと言動を

社会と調和する、願わくば
よりまろやかな方法でもって、
一致させる行動できる回数が増えたこと。 


今は、ここにある。 
その道の途中なのかな、と思います乙女のトキメキ




そんな私と同じような事を繰り返してきて、
まさに今、
自分の中の「モヤッ」を認識し、
心地悪い思いをしている心の友よ(*^^*)


少しだけ先に「モヤッ」と付き合った私は、
そんな彼女とこんな話をした。




かつての私達が、
かつての生き方において、

相手の為だからと自ら引き受け、
ひいてはそれが自分の生き延びるすべなのだと信じて疑わず、


こうした方がいいのだよね? という方を
引き受け、やり続けたことで、 


相手との関係の中に
暗黙のルール、法則を
悲しいかな、コツコツと築き上げてきた。


決して意図した訳ではないけれど、
相手の無意識の中に築くことになった

私がそうする事に対しての
相手や周囲の「当たり前」



これを作り上げてきたのは、
他の誰でもなく、自分自身。



そのかつてのマイルールが
今の自分に
もうすでにマッチしなくなっているのだから、


自分のおケツは自分で拭くしかないんだ!! 

という事。

かつての自分の尻拭いは、自分でするしかないのだ。





あの頃より、魂の成長した今の自分が、
かつてのマイルールに違和感を感じているのであれば、 


今の自分の意思、正直な行動 
自分なりの方法で示し、
「モヤッ」を解消していくしかない。



「モヤッ」としながらも尚、
 古いルールで存在し続けることは、 

自分の為にならないのはもちろんの事、 
相手の為になんか、これまたひとつもならないのだからね乙女のトキメキ











Sat Nam おすましペガサス乙女のトキメキ