9日、盛岡Niaに行ってきました。
Nia終了後、みんなで!
9月下旬に智恵子さんとコラボで開催した鹿角Nia。
この時は主催でもあったので、参加者としては久しぶり。
阪神・淡路大震災で生まれた歌
『満月の夕』
この曲を盛岡Niaの後半でみんなで歌うと知ってすごく気になっていた。
そうしたら智恵子さんから「歌い手が必要です。満月の夕をフルで歌ってもらえないか」と声をかけてもらった。
歌詞にある
「ヤサホーヤ焚き火を囲む 眠らずに朝まで踊る」
それは鹿角Niaの続きのようにも思えたし
なんでかわからないけれど『行かなくては…!』という気持ちもあった。
震災はもちろん、普段の事故や大切な人が亡くなるのは、とてもやりきれないし、誰だって胸が張り裂けそうになる。
そして盛岡Niaの数日前、身近な出来事でとても切ないことがあった。
今年は友人が病気で亡くなったり、直近のその出来事もあって、それらが満月の夕の歌詞と重なっていった。
残された人は、明日も生きてゆかなければいけない。
そしてどんな状況でも、ほんとうは、笑いたかったら笑ってもいいし、前向きでも後ろ向きでもいい。
Niaでいつものように、思ったまま動いて、満月の夕は歌を歌いながら踊り、最後のサビの繰り返しは、みんなで肩を組んで歌った。
解き放て
命で笑え
満月の夕
最後のシェアタイムの時、思ったことを話していたら、
言葉に詰まって涙が出た。
びっくりした。
私は、私が思っている以上に、自分が悲しかったのだと知った。
隣にいた志穂ちゃんが抱きしめてくれた。
『話すこと』は
『放す』こと。
踊って、歌って、話して、
解き放たれた心。
『…そうか。みんな、こうやって、乗り越えてきたんだよね。
乗り越えてゆこうと、もがきながらも生きているんだ。』
肩を寄せ合って、抱き合い、泣いて笑って、空を見る。
また一歩、足を前に出す。
歌わなくても、踊らなくても、生きてはゆける。
けれど、歌ったから、踊ったから、生きてこられた、人の歩みがある。
帰り道、お腹が空いたのが、こんなにも嬉しかった。
今日は晩ご飯を用意しておくと言ってくれていた娘。
待ってくれている家族がいること。あったかくて、安全な場所にいて、今日もご飯が当たり前に食べられること。そのご飯を、今日は娘が用意してくれていること。
1時間後の未来が、愛おしくてたまらなくなったのだ。
そしてその道すがら、届けたい人達を思いながら、満月の夕や、大好きな歌をうたいながら運転をした。涙が止まらなくなった。
『届いたらいいな。』
そう祈りながら。
この先も私は、私たちは、踊ることも、歌うこともやめないだろう。
心を解き放つ、大切な宝物だと、【命】が知っているから。
智恵子さん、志穂ちゃん、ご一緒した皆さん、大切で愛おしい時間をありがとうございました。
参加できて、本当によかった。