過去の経緯をなかなか書く時間がとれず…
気づけば現在のことを書く中にすでに重複していろいろ書いてしまっていますが、記録として書きますね。
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少し時間は戻りますが、術前抗がん剤開始の入院中に、東京のがんセンターに転院して手術をしてもらうことを夫と決めて動き出していました。
理由は、この田舎の総合病院では、膵臓がんの年間手術例が30例以下だったからです。
4月のCTを結果的に見逃されたのも、こういう経験不足があったからだろうと思いました。
後に主治医は、夫が一人の時に、4月のCTで膵臓がんだと疑わなかったことについて、「こんな若さでまさか、と思いました」と言ったそうです。
ここで手術を任せようという信頼が、とても持てませんでした。
少しでも予後を良くするために、ハイボリュームセンターで手術を受けたい、それなら日本で一番症例数の多い病院にしよう、となりました。
入院中に転院のための紹介状を依頼して、最短で転院先の予約をネットでとり、間で台風が来たため日にち変更を余儀なくされましたが、無事受診。
10/3まで術前抗がん剤なので、手術は早くて10月後半〜11月に入ってになると言われました。
この時はまだ術前抗がん剤をしていたのですが、のちに9月半ばで中止となってしまったため、時間が空きすぎるので手術予定を早められないかお願いしてみましたが、そこは大病院の事情的に無理とのことでした。
この抗がん剤中止の9月半ば〜手術日の11/4までの期間が、本当に本当に恐怖に飲み込まれそうな辛い日々でした。
抗がん剤中止したのに、こんなに期間が空いていいのか、この間に遠隔転移して手術不可にならないか…。
毎週水曜日に手術予定が決まるので、その夕方主治医から電話があるのですが、2週目の「今週も無理でした」との連絡を聞いた時には、大病院を選択したことに後悔し始めていました。
おそらく地元の病院ならすぐ手術予定が組めるだろう、信頼できなくても早い方がいいのか?膵尾部なので膵頭部に比べれば技術的に比較的簡単なはず…。
膵尾部は肝転移しやすいのにこれ以上待てない…‼︎
病状進行の恐怖でまともな判断ができずにパニックになりかけましたが、夫は東京の病院を希望したので、このまま待つという選択をとりました。
メンタルを保つため、旅行の予定を入れたりして、なんとか手術日まで持ち堪えました。
(この頃、軽度の背部痛を訴えていたのですが、術後に消失したので、膵臓がんの痛みだったと推測しています)
こんなにも悪性度の高い癌を抱えたまま長く過ごす日々は、大腸がんの時とは比べものにならない恐怖でした。(大腸がんは、診断後すぐ手術でステージII aの結果がでたので、気持ちの解放も早かったのです)
そうしてようやく11月上旬に、膵体尾部切除をしました。
手術開始して1〜2時間でもし呼ばれてしまった場合はインオペなので、その時間が過ぎるまでは不安で気がどうにかなりそうでした。
YouTubeで瞑想しながらなんとか3時間が過ぎたあたりでようやく少し安心し、術後の説明では腹膜播種はなかったと聞き、膵臓がん診断後初めて安堵した瞬間だったと思います。
それから、術後の経過はまずまず良好でした。
再発率を考えると気を抜けないまでも、夫と電話で未来の楽しい事をようやく話し始めた翌日でした。
術後のCTで、肝臓に1センチの転移。
ちょうど幼稚園の後で子供たちを公園で遊ばせた帰り、車に乗り込んだところで夫から電話があり、報告を受けました。
再び奈落の底へ突き落とされた気持ちでした。
少しの希望も与えてくれない膵臓がんの恐ろしさ。
この時はまだ、2年前の大腸がんの転移の可能性もあったのですぐ生検をしましたが、結果はやはり膵臓がんでした。
そうして、地元の大学病院に転院調整をかけるも二度断られ、元の総合病院に戻って年明けから抗がん剤開始という流れになり、現在に至ります。
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ここまで、夫と私は精一杯もがいてやってきたのだけど、選んだことが結果裏目に出たり、当初から何箇所かセカンドオピニオンしておけばよかったなどの後悔があります😔
ガイドラインでは、GS療法してからの手術だったので、そこはどこで治療しても同じだろうと思ったのが間違い…。
そして、手術は大病院へ転院したことで、術前抗がん剤中止+手術待ちとなり、無治療期間が長くなりすぎて術後すぐ転移発覚…
膵臓がんは罹患しただけでほぼ再発とセットだと自分に言い聞かせることで、なんとか気持ちの折り合いをつけています…。
しかし、夫と話すのは、田舎の病院から思い切って東京の病院へ行った事で、レベルの違いを実感し、やはり今の主治医とは絶対に離れなければいけないという決意と行動に繋がったことは、よかったと思っています。
もし今診断されたばかりの方が私の記事を読んでくれたなら、私の後悔を絶対に活かしてほしいと思います。
それだけでも救いになるから…。