こんにちは (^_^)

ずいぶんご無沙汰しました。

 

ここを留守の間に

アリーナツアーが終了し

オリンピックも終わり

忍びの国のキャストも発表され

JaponismのDVDが発売され……

そんな中で

戦争を思うべき

いくつかの日も過ぎていきました。

 

今日は

終戦の日に、娘と見た

(DVDになってからやっと見た)

『母と暮らせば』のことを。

(本当は8月のうちに

書きたかったのですが… ^^;)

 

 

 

 

 

ニノのような確固たるアイドルが

こうした映画に携わってくれるのは

すごく意義深いことだと思いました。

 

 

ニノが出てるから、と

このDVDを借りてきたニノ担の娘

 

見終わって心に残った重さを

持っていきどころがなかったようで

深いため息とともに

救われなさ

というようなことを口にして、

それでも半面、ことの重大さというか

戦争が、原爆が

ひとりひとりの人生に

どんなことをもたらすのか

その「重さ」を

初めて実感を伴って

感じられたように思う

とも言ってました。

 

ストーリーが始まったとたんに

ニノの演じる浩二が

儚い存在となってしまう。

演者が、常日頃親しみを込めて

見ている人であるだけに

その不在が実感を伴うように迫ってきた

ということもあるでしょう。

 

戦争を肌で知る人がまだうんと沢山いた

私の子ども時代と比べて

戦争の影が

ずいぶん薄くなってしまったように

思われる今の時代に、

若い人に訴える力という点からも

ニノ、この映画に出てくれてありがとう

と思ったことでした。

 

 

 

 

 

 

幽霊となった彼と母との会話は

まるで「日常」のように

静かで幸せ、なもので

それが静かで幸せなほど

哀しくてやるせない。

 

印象的な言葉、場面は

多々ありますが

ひとつあげると。

 

原爆で自分が死んだことを

運命だったんだ

という浩二に対して、母は

それは違う、と言います。

 

これは防げたことなの。

人間が計画して行った

大変な悲劇なの。

 

浩二は涙して消えていきますが

この母の言葉に

原爆や、果ては戦争に対する

製作者の強いメッセージを感じました。

 

 

そのメッセージの意味を

痛感させるような事実を

8月にNHKで放送された

『決断なき原爆投下』という番組で知りました。

すべてはとても書ききれませんが、

莫大な国家予算を費やした

アメリカの原爆開発計画の責任者だった軍人は

「原爆が完成しているのに使わなければ

議会で厳しい追及を受けることになる」

と強迫観念じみた思いすら抱いて、

原爆なくとも降伏寸前だった日本に対して

原爆投下を実施することに邁進したようです。

(軍人でなく)市民を攻撃することは

ナチスと同様の行為と批判されるのでは

と政権が危惧する中で

軍の暴走の末の原爆投下だった。

 

原爆を推進した人たちは

ひとりの人としての思いを

どうして、どこに置き去りにしてしまったのか。

 

 

 

 

 

 

『母と暮らせば』の最後、

息子に伴われて

死出の旅に出ることになった母は

嬉しい と

心の奥底からのひと言をもらします。

 

その時の彼女には

それ以上の幸福は

きっとなかっただろう。

その嬉しいという気持ちは

母親としてわかる気もしたけれども

それが最高の幸せであることの哀しさに

心が重くなりました。

 

 

戦争というのは

そういう、ひとりひとりの人間の立場から

語られ、考えられるべきこと

なのだろうと思います。

その時に初めて

その恐ろしさ、罪深さがわかるというか。

 

そういう意味で

『母と暮らせば』は

本当に秀逸な「戦争映画」なのだと

思ったことでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりなのに楽しい話題でなくて

なんだかごめんなさい

という感じなのですが……   ^^;

 

 

 

 

次のときは

なにか軽やかな話題で

浮上して来ますね。

 

 

それではまた o(^-^)o