自閉症は贈り物でも不運でもない.
それは,単にそうだというだけである.
Stuart Duncan
ー感覚統合とその実践 第3版P557 より
思えば,幼い頃からずっと「普通になりたい」と思っていました.
去年,出版された感覚統合の教科書的な本,通称青本の第3版,やっと読み終わりました.
感覚統合は,私に「普通」なんてないことを教えてくれました.
標準偏差内に値があることが普通なのではない.
WISCという知能検査をすると,I Qが出ます.
知的に高い・平均程度あると評価されると,安心される養育者の方が多いです.
でも,そのグラフに凸凹が大きくある場合,本人は「できないこと」を強く意識します.
「できること」は本人にとって当たり前のことです.
でも特性上できないことは「反復練習するという努力の積み重ねではできないまま」なのです.
そして,そのできない自分を繰り返し繰り返し味わい,自分に対して嫌悪感を持つようになります.
なぜできないのか分からなのです.
なぜ,消しゴムで文字がうまく消せないのか
なぜ,マス目に合わせて文字が書けないのか
なぜ,椅子にじっと座っていられないのか
自分では努力しているのです.
消しゴムを上手に扱える人
マス目に合わせて文字を書ける人
椅子に苦労なくじっと座っていられる人
が
努力なくしてできているなんて,想像もつかないのです.
WFOT作業療法の作業の定義
作業療法は,人々の健康と幸福を促進するために,
人々が
「できるようになりたいこと」
「できる必要があること」
「できることが期待されている意味ある作業」
への参加を支援する
Occupational therapy promotes health and wellbeing by supporting participation in meaningful occupations that pelple want,need,or are expected to do
と去年,改定されました.
でも
「できるようになりたいこと」も「できる必要があること」も「できることが期待されていること」も
その時代,その人が所属しているコミュニティ,場所の中にある概念でしかない,移り変わり続けるものと思います.
一人ひとり,「意味ある作業」と捉えるものは違うし
文化的背景・周囲の人の理解・物質的な環境が整えば,機能レベルで何一つ変わらなくても「できる」とされることも多くあります.
そもそも
「できる」という尺度も捉えようがない気もします.
例えば
マス目に合わせた文字を書くよりも大切なことがあるんじゃないか
と私は思います.
それって,本当にできる必要があるのかな?
って不思議に思います.
AIが作った文章を写したと思われる学生さんからの失礼のないとされる定型文のお礼状
より
不器用とされるお子さんが,丁寧に書いてくれた一つ一つの文字や消しきれなかった文字,画数の多い漢字は大きくなってしまったりしているお手紙,たった一言の「ありがとうございました」
の方が,温かい繋がりを感じます.
青本に
『ASD(自閉症スペクトラム症)とされる発達症は6人に1人程度の割合でいる』
というようなことが書いてありました.
そこにはADHD(注意欠陥障害・多動症)の傾向のみがある方は含まれていません.
であるならば
「普通」とされていることが間違っている気がしてきました.
医療保険を利用した治療を受けるためには,診断名が必要です.
私に発達障害領域の作業療法を教えてくださった先生は
障害や診断名がその人ではないという目線を持つ重要さ
を繰り返し伝えてくださいました.
身体的・精神的特徴がその人なのではない.
自分と同じ感覚を持つ人は一人としていない.
けど,それでいい.
を伝えていけたら
診断名がなくてもサポートを受けられる社会に近づいていくために何かできたら
いいなぁと改めて思いました.
Let It Be /The Beatls
Let it be,let it be ,let it be,let it be
whisper words of wisdom,
let it be
Let it be, let it be,let it be,let it be
There will be an answer,
let it be
「あるがままに」
