どうしてなんだろうね?

人って、凄く頑張って、幸せに生きようとしてたり

満足のいく人生を送りたいと努力してたりするのに。

 

でも、握りしめて放したくないことがあるみたい。

 

 

例えば

もう何年も、何十年も前に起こったこと。

 

子供の頃だったり

青年期だったり

ずいぶん昔に起こった苦しい経験

悲しい経験

腹が立った経験

 

そういうものにまだ傷ついている

いまだに苦しさを感じ

悲しくなり

腹を立ている。

まるでさっき起こったことのように

ありありとその感情を感じていたりする。

 

その腹を立てた相手はもうそこにいないし

悲しかった状況は影も形もない

苦しい経験はとっくの昔に過ぎ去ったけど

 

それは紛れもない真実として

その人の心の中にある。

その痛みはそこに住み続けている。

 

そういうのは手放したらいいのに。

そうしたら、もっと楽になるのに。

 

 

でも、長くそこにあればあるほど

すっかり自分の一部になっていて

手放せない。

 

自分にとって痛ければ痛いほど

手放せない。

 

こんなに痛いパーツなのに

自我=自分という感覚・自分というストーリー

の大事なパーツだから。

 

 

 

これがなくなると自分じゃなくなるような気がしてしまう。

大事に大事に抱えてないと

自我は生き延びていけないの。

 

 

でも、毎秒毎秒、思い出して、その痛みを感じている訳じゃなく

それがなくても、ちゃんと平気で生きているのに。