僕のワンワン1(中編小説) | ぞっと…笑って下さい。道化猫くっきーの小説ブログ“笑う猫の夢”

僕のワンワン1(中編小説)

――遅い…

リビングの掛け時計は既に午前1時を回っている。

俺は余り丁寧とは言い難い仕草でテーブルの上の携帯を引き寄せた。

先程から幾度となく
ダイヤルした番号に
荒々しくリダイヤルボタンを叩き付ける。

数度のコール音に焦れる俺の耳に、
ようやく受話器を取り上げる気配の後、
聞き慣れた特徴のある声が応じた。

「はい…?」

「はいじゃねえだろ!てめえ!なんで電話に出やがらねえ!?今何時だと思ってんだ!?」

安堵と裏腹に
俺は電話の向こうの抑揚のない声を怒鳴り付ける。

「1時を少し回ったぐらい…」

相変わらず悠然とした声だ。

いつもながら俺の怒鳴り声など屁とも思わない様がありありと浮かび、
俺は更にムカムカとして来るのを禁じ得なかった。

「ああ!?てめえなめてんのかよ!!今どこに居んだよ!?おお?客とホテルでも行ってんじゃねえのか?こらぁ!」

「こんな時間にホテル行くんだったら泊まって来るよ。」

半分嫌味を含んだ罵声を片手でかわされた俺は
己の脳天に血が逆流するのを禁じ得なかった。

「おい!てめえ…てめえがどこの男と何をしようが勝手だけどよ…自分の立場を良く考えてからやるんだな…お前が少しでも妙な事しやがったら…」

「ミッキー達を殺すんだろ?」

出し抜けに背後から肩を叩かれた俺は
思わず飛び上がる。

「ただいま。僕のワンワン。」

「てめえ…!いつの間に…」

振り返ると案の定
見知った小柄な姿が
携帯を握りニヤニヤと俺を覗き込んでいた…



河原洋明…

ここ2年間同棲している俺の“恋人”だ。

奴と知り合ったのは
お決まり通り歌舞伎町のゲイバーだ。

その日俺はけったくその悪い事があり、
いつになくムカムカしていた。

少しでもムカムカを発散させるべく、
行き付けの店の門をくぐった。

「おい!涼呼べよ。」

気味の悪い猫なで声の支配人の追従を遮った俺は
いつも以上に荒々しく
己の土足を大理石のテーブルの上に叩き付けた。

「ごめんなさい…今ね。涼君指名が入ってるのよ。」

「ああ!?誰だよ?どうせハゲ散らかした安サラリーマンだろ!?」

寄りに寄ってこんな日に…

俺はすっかり薄くなった支配人の頭に向かって罵倒した。

「純ちゃんお願い…そんな事言わないで…その代わり新しく入った男の子2人つけるから…とってもいい子達だから!ゆっくりして行ってね!」

俺の返事を待たずに
逃げるように走り去る背中に
ひとしきり罵声を浴びた俺は仕方なしに
件の“大型新人”2人を待つ事にした。

「いらっしゃい…せ…」

「いらっしゃいませ。」

――なんだ!?これは?

「おい!この店は俺をなめてんのかよ!?」

「なんの事でしょう?」

席につく早々
俺に罵声を浴びせられた1人が
涼しい顔で俺を見返す。

先に来たもう1人は
無言で肩を振るわせ
しょぼくれた目を伏せている。

俺の怒りはしごく当然だ。
俺の好みは当時指名していた
18歳の涼のような
目の大きい今風の整った顔立ちと
俺の言う事に逐一頷いて応じる従順さだ。

しかし、
目の前で雁首揃える2人ときたら…

先に来た奴は箸にも棒にも掛からない奴だ。
容姿は言うに及ばず
客商売をしているという自覚がゼロな事は
一目瞭然だ。

後から来た奴が
殊更に涼しい顔で名刺を出す。

「いらっしゃいませ。純一さんですね?明と申します。」

別の意味でタチが悪そうな奴だ…

いや…
はっきり言って一番嫌いなタイプだ。

滅多に居ないタイプだが、
何故寄に寄ってこんなけったくそ悪い日に
ここにいやがる!?

「お前の名前なんか誰も聞いてねえよ!さっさとあっちへ行きやがれ!」

俺は今しがた奴が押し付けて来た名刺を真っ二つに破り捨てた。

気の弱い奴なら
これだけで涙目になるだろう。

さすがに奴も己の眉をしかめる。
いい様だ。

「あ~ぁ。困るなぁ…こんな事されたら…」

「文句あんのかよ!?俺も気に入った奴の名刺は大事に扱うぜ。」

俺は
無惨な姿でペルシャ絨毯に横たわる己の名刺を拾う野郎に
とどめを刺した。

「いや…それは別に構わないんですけど…」

構わない!?

俺は思わず奴の顔を覗き込む。

「いらないなら返して下さいよ。この名刺結構高いんですよ。」

奴の面はどこも痛んでないどころか
薄笑いすら浮かんでいた。

瞬時に
俺は己の脳内で何かが弾ける音を聞いた。

こういう野郎は徹底的に潰しておくのが俺のやり方だ。

「けっ!名刺代ぐれえで客に泣き言言うホモ野郎を飼ってるなんてこの店も落ちたもんだな!」

平静を装った俺は
奴の薄笑いに向かって更に吐き捨てた。

「まあ…お前には同情するぜ。お前結構いってんだろ?ひょっとしたら俺より年上じゃねえのか?それでその面じゃあ指名する物好きはいねえよな…しかもそんな安物のスーツじゃな…店もお前を入れた事を後悔してんじゃねえのか?」

さすがの俺もここまでの罵詈雑言を吐き捨てた事はない。
これで奴も参る筈…

しかし、
次の瞬間奴から発せられた声は
気色ばむどころか楽しげな響きすら含んでいた。

「がっかりしたな…」

「はぁ!?」

俺は不覚にも間の抜けた声を発した。

「純一さんパンチの効いた人だって聞いてたから僕、純一さんの席につかせてもらうのが楽しみだったのに…案外普通なんですね。」

「てめえ!そりゃあどういう事だ!」

俺は掴み掛からんばかりに奴を睨み据えた。

「普通の事だと言ったんです。僕が若くてイケメンだったらこんな所でお酌なんかしていませんよ。ジャニーズにでも入ってダンヒルのスーツでも着てますよ。ホモ野郎でも顔さえ良ければジャニーズには入れます。それに、僕はこう見てもまだ25歳です。」

25歳…?
遥かに年下だ…
いよいよこんな野郎に侮られる訳には行かない!

「嘘つけ!そんな講釈垂れやがる25歳が居るか!?見え透いた小細工しやがって…!」

「本当に25ですよ。良かったら証明書見せましょうか?」

俺の怒声に店内がシンとなる中、
奴がしゃあしゃあと続ける。

「まあ…信じてもらえなくてもしょうがないですね。純一さんには足元にも及ばないけど…僕も今まで相当悪い事して来ましたからね。」

明らかに挑発するような
奴の面に唾を吐きたい衝動を制した俺は
奴以上に挑発的な笑いを作り発した。

「ほ~!ぬかしたな。お前の度胸とやらを見せてもらおうか。」

俺は横でオタオタする木偶の坊に
白い紙を二枚用意するように命じた。

「ベルトを外せ。」

「僕は公衆の面前でする趣味はありません。」

相変わらず抑揚のない声で薄笑いを浮かべる明を
俺は怒鳴り付けた。

「馬鹿野郎!!誰がてめえなんか抱くと言った!」

「はぁ?」

訳が分からないと言った顔で首を傾げる奴に
俺は放った。

「男と男の勝負だ。」

先にベルトを外した俺は
己の毛を渾身の力で引き抜いた。

――つっ!!

瞬時に電撃が走る。

想像以上の痛みだ。

口が達者なだけの優男に耐えられる痛みではないだろう。

俺はニヤリと笑った。

「どうだ?てめえがその面床に擦り付けたらこの勝負なしにしてやってもいいぜ。」

しかし、
奴はフッと鼻を鳴らした。

「いいでしょう。受けましょう。」

「てめえ!分かってんのかよ!?抜いたそばからこの紙に乗せて行くんだぜ!」

「お客様のニーズには出来るだけ答えろと支配人から言われているんでね…」

相変わらず俺をムカムカさせる薄笑いを浮かべた明が
芝居掛かった所作で
己のベルトを外す。

――うっ!!

――うわっ!

――痛でえ…

言い出しっぺの己を呪いたくなる激痛に
俺は涙を禁じ得られなかった。

――この俺ですらこの様だ。奴はさぞかしべそかいてやがる…

ふと明を見た俺は
余りの事に肝を潰した。

奴の目の前の白い紙には
俺の分の三倍は積み上げられ、
奴は顔色一つ変える事なく
淡々と“作業”に没頭していた…

「おい…明…てめえ降参してもいいんだぜ…」

情けなく発する俺の声に
ふと顔を上げた明が俺をじっと見返す。

全体的に造りは小さいが
ふとした瞬間に見え隠れする淫靡さと凄味を織り交ぜたような切れ長の目…

確かに今風の整った顔立ちではない。

だが
ある種の野郎共にとっては
人形のように整った面以上に本能を刺激されるだろう…

場違いな思考を振り払うべく
頭を振った俺を
しばし観察していた明が
突然破顔する。

「良かった!純一さんがいつそう言ってくれるか…僕ずっと待ってたんですよ!」

「あ…?」

想像だにしなかった言葉に俺は呆然と奴を見詰める。

「見栄張ってポーカーフェイスにしてたけど、僕もう痛くて痛くて…やっぱり純一さん本当は優しい人だったんだ!はい!降参で~す!!」

先程までの人を食ったような表情はすっかり消え、
奴は無邪気な所作で両手を上げた。

「それに大事な商売道具だし…」

女のようにペロリと舌を出す明の手に
俺は幾らかの高額紙幣を握らせる。

「商売道具に傷を付けて悪かったな。慰謝料だ。」

瞬時に奴の顔が強張る。

――少なかったか?

俺は先程の倍近い紙幣を
今度はテーブルの上に叩き付けた。

「余り欲をこくなよ。これ以上とぬかしやがったらお前は今夜無事に帰れなくなるぜ。」

精一杯の凄味を効かせた俺を強張った面で見据えていた明が
突然無邪気な声を出す。

「純一さん…」

「ん?」

「これ僕が稼いだお金ですよね?」

「あ…ああ…」

「じゃあ好きに使っていいんだ?」

奴の言わんとする事が皆目掴めない俺は
頷くより他はなかった。

「すいませ~ん!!大きい灰皿下さ~い!」

固唾を飲む店内を
奴の低いくせによく通る声が響き渡る。

慌て灰皿を片手に走る黒服の手からそれを受け取った明が
黒いスーツのポケットから2枚の紙片をゆっくりと取り出す。

よく見ると
俺が先程破り捨てた名刺だ。

――何をする気だ!?

手元を凝視する俺などまるで居ないかのように
口元に薄笑いを浮かべた奴がそれに火を付ける。

「うわぁ!よく燃える!」

どこかタガが外れたような歓声を上げた奴が
更に悠然とした所作で
テーブルの上の紙幣をわし掴む。

――!!!

名刺をなぶるようにまとわりついていた炎が
パッと火柱を上げ、
歓喜に満ちたかのようにクリスタルの灰皿を
キラキラと揺るがす。

「お札のキャンプファイヤーだ!!」

「て…てめえ!!」

しばし呆然とその様を見詰めていた俺がハッと我に返る。

「見て!純一さん!きれいでしょう?」

無邪気な声とは裏腹に
奴が嘲るような目で俺を見据える。

「あっ!12時だ!終電の時間だから僕失礼します。純一さん…ありがとうございました。」

先程以上に芝居掛かった仕種で
膝を付き深々と頭を下げた明が
数秒の間俺を覗き込む。

テーブルの上で燃え盛るクリスタルの光に反射した感情の読み取れない目を
俺はぼんやりと見返す事しか出来ないでいた…