近所の年配のご婦人とは、仲良くさせてもらっているのだ。

そこのご主人は、人工透析を週3回受けている。

病院まで行くのは、車を使う。

しかし、ガソリンが尽きそうである。


ガソリンスタンドはどこも長蛇の列。高齢の夫婦にはきつい。

ガソリン携行缶があればなんとかなりそうだが、あいにくワタクシはもっていない。


区に申請すれば、優先的にガソリンを買うことができたりするらしいのだが、その区役所までどうやって行けと言うのか。


あの手この手を使ってあちこちに連絡をし、なんとかタクシーの運転手をしている方の助けを得ることができた。

タクシーも大変なはずなのに。



知り合いの高齢の女性が病院に入院している。

病院にガスがまだ通っていないため、病院食のメニューが悲惨なことになっているらしい。日に日におかずが少なくなってきて、量も減ってきている。


別の知り合いの女性もまた別の病院に入院していた。食料が乏しくなったため、退院してくれと言われ、その通りにしたらしい。高齢な彼女は気丈に振舞うものの、内心不安であろうことは容易にわかる。


それでも彼女らはめげない。見舞いの品を同じ病室の患者さんらと分け合い、栄養をとろうとしている。



石巻の避難所生活している人にも、暖房の燃料や食料といった物資が十分ではない。

すると、避難所生活している人が、魚を釣って皆で分けて食べている。



少しずつ、物流が回復しつつあり、スーパーなどに並べばなんとか買えるらしい。しかし、、、野菜がべらぼうに高い。


昨日、ワタクシと息子は近くを歩いて、ふきのとうをたくさん採ってきた。きれいに洗い、アクをとり、一部は今日の夕食のてんぷらに、残りは「ふきのとう味噌」にして食べた。ふきのとう味噌は、保存食にもなる。


物流が滞ったとしても、ガソリンがなくてもなんとかなった。食料がなくても自分で魚を釣ったり山菜を摘んできたりできる。


人間は、けっこうたくましいのだ。




でも、本音を言うと、キツイのよ。

被災地でない人の買占めは、物流の停滞を促し、結果として確実に避難所の体力のない人の命を奪おうとしている。というか、このために何人かの人は死んでいる現実。


首都圏でのガソリン買占めは、なんで今すぐやる必要があるのか、さっぱりわからないよ。たのむから、被災地とくに沿岸部の避難所にいる人たちのためにまわしてくれよ。


ガソリンの携行缶は買っておかないとダメだな。