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私は自分が幼稚園児の頃から
幼稚園の先生になることが夢でしたおねがい

もちろん進路希望は
幼児教育専攻の大学でした🏫

高校1年の三者面談で
先生から
「今は子どもが少なくなってるのに
幼稚園の先生になる人が多くて
資格を取っても就職できないかも」
と話がありましたショボーン

私の夢を知っているはずの
一緒に話を聞いていた母に
背中を押してもらいたかったのですが
母から出た言葉は
友だちの娘さんも大学で
幼児心理の資格も取ったけど
バイトとしてしか雇ってもらえないんだって。
高校も私立だし、
お金をかけてもフリーターはね…」と。

よいこの私は
それでも幼稚園の先生になりたいびっくりマーク
とは言えなかったのです悲しい

次になりたいものが分からなくなった私ですが
高3になり
いよいよ進路を決めなければならなくなりましたショボーン

部活での大学の推薦の話を
何校か頂けたのですが、
部活も母のレールに乗っかっていただけなので
自分としては完全燃焼していて
吹奏楽を続ける気にはならなかったのです不安

幼稚園の先生になれないのなら
子どもに関われる仕事をしよう

考えついたのが
バスガイドでした🚌

バスガイドなら
遠足で子どもと関わることができて
一緒に楽しめると思ったのです照れ

そして一番重要なのが…
寮に入って家を出られることでしたひらめき

父には
お前が考えるほど世の中は甘くない
と反対され、
母には
家から通えるバス会社ならいい
と言われました💦

最近になって気付いたことですが
ここにも母の洗脳あったのです不安


家から車で10分のところにある
観光バス会社に入社し、
幼稚園の遠足以外にも
老若男女さまざまなお客様と出会い
いろいろな経験させてもらいましたニコニコ

20歳の頃
今の旦那と知り合い、
付き合っている途中で
旦那の転勤が決まり
一緒に転勤先に行かないか
話をされました目がハート

旦那は6つ歳上で
安定した仕事をしていたので
反対はされないと思っていましたキョロキョロ

意外にも
父は結婚に快諾。
何故か母が渋っていました不安

私が20歳だから?
しか理由が思いつきませんでしたショボーン
小さい頃から
家のことをやっていたため
家事スキルは主婦並みにありましたし、
貯蓄もそれなりにありましたショボーン

今まで
なぜ反対されたのか疑問のままでしたが
兄がその疑問を解消してくれたのです

お前が結婚するとき
母さんが反対してただろ?
〇〇が家を出ていったら
私はどうしたらいいの?って
自分の都合で反対してたんだよ

щ⁠(⁠゜⁠ロ⁠゜⁠щ⁠)
そんな理由で反対してたの?

就職先が家からじゃないとダメだったのも
その理由だったのでしょうガーン

たしかに兄が結婚するときも
母は同じことを言っていました💦

子どもたちの幸せより
自分の保身の方が
大切な人だったのです


結婚してからも
前にお父さんと離婚しようとして
できなかったのは
あなたのせいだからね
と言われていました真顔

中2のときに
父の親族と揉めたため
離婚の話が持ち上がったとき
母にどちらについていきたいか
問われたときがありました💦

正直、私はどちらでもよく
転校しなければどちらでもいい
と答えた記憶があります

母は自分1人で
子どもたちを養うつもりはなかったようで、
市外に住んでいた
伯父たちを頼ることを考えていたのでしょう💦

家を出てアパートを借りて



転校しなくてもよいところで
子どもを育てていくことは考えていなかったのですショボーン

離婚しなかったのは
自分の意思の弱させいなのに、
いつのまにか
私のせいになっていました

母の中では
きっと今
この状態になっていることも
このとき離婚ができなかった
私のせいなのでしょうね悲しい


兄は
元々の夫婦関係がおかしかったのを
修復することなく
お前ありきで関係を保っていた両親の責任で
お前のせいじゃないよ
気にする必要はない
と言ってくれました💦


こうして文章にすることで
自分のことに気づきを得られているように
日々感じていますショボーン
本当に洗脳がとけてきたようですニコニコ