ご訪問ありがとうございます( ꈍᴗꈍ)
フォローしてくださった方
いいねをしてくださった方
ありがとうございます(◡ ω ◡)
父の圧力から解放された母は
ようやく1人の生活に慣れてきました
毎朝
兄が実家に行き
ゴミ出しやお風呂掃除
洗濯機を回してから出勤🏍
朝ご飯を食べたら
洗濯物を干し
字を書く練習✎
お昼と夕飯は
見守りを兼ねて、
宅食をお願いしていました🍱
連絡していない日以外に
もしインターホンを押しても出てこなかったら
電話をもらえるようになっているので、
とても安心でした
私は以前と変わらず
週3〜4日は実家に通って
掃除や爪切りや耳掃除、
家計簿などの事務作業に行っていました🏠
父と一緒にいた頃は
父の指示でしか動いていなかった母。
兄や私が身の回りのことを
やってあげていたのが
いけなかったのでしょうか
掃除機をかけていても
退くこともなく
テレビを見たまま座っていたり、
トイレ掃除や台所の掃除をしていても
手伝うこともなく
「ちょっとね」
と言いながらお昼寝を始める始末
母が1人のときは
ずっとそうして過ごしているのでしょう
私をお客さん扱いして
気を使ってほしいとは望んでいませんが、
せめている間だけでも
気を張っていてほしいのが本音でした
母の甘えは
段々とひどくなりました💦
私が作業をしていても
自分が閃いたところ伝えるために
手を止めさせることもたびたび…
伝えたいことは
今日のお通じのことや
洗濯物を干したなどの
そのときじゃなくても全然問題ないもの💦
10時3時に食べる
おやつの文句
毎日飲むペットボトルの水の蓋が硬いから
全部緩めておいて
ふりかけや野菜ジュースが
もうすぐなくなるから買ってきて
爪のここがササクレてるから
ヤスリをかけて
しまいには
時計をしきりに見て
早く帰れの圧
今までは父がひどかったから
母のことが気にならなかったのか、
母のお姫様ぶりに
ほとほと疲れてきていました💦
この頃、
父が精神病院に入り
私の気持ちも少し落ち着き、
自分の生まれ育った家族について
考える余裕が出てきていました
母は15歳の頃に
母方の祖母が乳がんでなくなり
高校時代は学校と
主婦の両方をやっていたそうです💦
祖父が厳しく
女だから大学に行く必要はないと
大学に行かせてもらえなかったそうです💦
母が脳梗塞で倒れる前まで
ずっと話していたのは
自分の不幸話ばかり
幼いときから
聞かされていたため
「お母さんはかわいそうなんだ。
守ってあげなきゃいけないんだ。」
と言う洗脳が始まっていたのかもしれません
休みの日は朝からパチンコに行き
家族をどこかに連れて行くことなどしなかった
父に対して
普通なら文句を言ってもいいはずなのに、
母→「お父さんの機嫌が悪くなったら
お母さんツラくなるから
あなたたち分かるわね」
そうやって育てられたせいで
小学生の頃
母がパートで残業になり、
父より帰りが遅くなりそうになると
兄と冷蔵庫を確認し
二人で夕飯を作っていました
父は帰宅して
お風呂から出てすぐに
ご飯が用意されていないと
不機嫌になるためです
不機嫌になり
食卓に嫌な空気が漂うことも、
その後に
母の私ってかわいそうの
悲劇のヒロインごっこが始まることが
面倒くさかったのです
子どもを守ることより
自分がかわいいために
夫に言うべきことも言わず
子どもにガマンをさせて、
ずっと悲劇のヒロインを
演じてきたんだろうな
かわいそうな母のために
私はいいこでいなきゃいけない
物心ついたときから
家の手伝いや
近所、学校での振る舞い
友だちとの関わり方など、
母にとってのよいこをやってきました
兄がバスケを始めてから
私が邪魔だったのでしょう。
やりたくもなかったバスケを6年間やらされ、
毎日3時間練習だったためか
レギュラーになれる6年生で膝が壊れ
運動制限がかかり、
中学でバスケを続けることはできなくなりました🏀
私は内心
嬉しく思っていたのです
ようやく自分のやりたいものができる
ワクワクしていたのも束の間、
母→「運動部は無理だし
あなたはピアノも弾けるし
友だちの娘さんも吹奏楽部で
誘われてるから
吹奏楽部に入りなさい」
よいこの私は
やりたくないとは言えなかったのです
こうしてまた
私の意思ではなく
母のためにやらなければならない
時間が始まりました
バスケもそうでしたが
やるからには中途半端がイヤな性格で、
吹奏楽にもきちんと取り組んでいました
そろそろ
高校も決めなければならない時期
母→「友だちの高校生の娘さんは
関東大会に行ったんだって!
あなたも〇〇高校にしなさい」
反抗期など
許されない私は
母に喜んでもらうために
母のすすめる高校に行くことにしました
部員が130人いるなかで
レギュラーが50人。
1年生でレギュラーになんて
絶対になれないのに、
楽器の都合で運良く
1年生で唯一レギュラー入り💦
そのときの母の喜びは
今でもよくおぼえています
練習がキツくて
同級生とも離れて一人ぼっちで
ツラい思いをしていた私のことなんて
全然目に入ってなかったことでしょう
小中高と12年間
自分のやりたかったことを全てあきらめ
母のために尽くしてきました
38歳になるまで
これまでの自分の人生が
母によって引かれたレールであったと
気づくこともなく
生きてきたのです
38歳で
ようやく洗脳が解けた
瞬間でもありました