キャッチボール。私にとっては父親の


象徴のようなもの。


 先週末に息子のグローブを買った。


研修が休みだった今日、自分の


グローブを買った。キャッチボールを


やるのは何年振りだろう。目が悪く


スポーツの中でも球技は特に苦手


なので、20年ぶりくらいだろうか。


 小学校1年の時父を亡くしたので


私自身、父とキャッチボールをやって


いない。旅行に行った記憶はあるが


普段遊んでもらった記憶はない。


父を亡くし、それからの私は、教師や


上司に大人の男性像を求めてきた。


自分の理想の父親像にあてはめようと


してきた。


 結果、理想などあるはずもなく、また


表向きの付き合いの中に、家庭の


父親象があるはずもなく、息子が


生まれて以来、他の父親以上に


試行錯誤をしているのだろう。


みんな初めての子育ては同じなので


自分が思うほどではないのかも


知れないが・・・


父が亡くなった歳をこえ、息子が


自分が父を亡くした歳になり、ひとつ


ひとつが、父が出来なかった事を


やっているような、父を乗り越えた


ような気がする。


 早く亡くなった父を恨んできたが、


父の無念さが、本当の意味で


身にしみるようになってきた。


 ただし自分が歩むのは、自分の


人生であり、父の人生ではない。


自分人生を歩む中で、父の


出来なかった事が出来れば


それにこしたことはない。


 キャッチボールは、父と息子の


スキンシップの象徴。


 ちょっと思い入れが強すぎるか。


まあ、良い汗かきました。息子の


投げたボールの力強さに、ちょっと


びっくり。成長を感じる。