昭和三年(1928)・横浜地図 昭和四年(1929)・東京地図 | トトやんのすべて

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猫写真。
ブンガク。
および諸芸術作品への偉そうな評論をつづっていくブログです。

毎度毎度の地味な記事です。

古地図を買ってきて、それをA1サイズのアルミのフォトフレームに入れて楽しんでおります。

 

100年くらい前の地図ですが、まだまだかなりキレイです。

 

ああ、そうそうはじめに書いておきますが、

東西南北は90度ひっくりかえってます、この地図。

 

  西

南   北

  東

 

こんな感じになってます。

 

昭和調査番地入 横濱市地圖

 

真ん中、染みみたいになってるのは↓↓

フォトフレームに映りこんだトマス・ピンコ(撮影者)の影です。

 

昭和三年なので 関東大震災からまだ間もないです。

復興の最中。あちこちに焼け跡が残っていたとおもわれます。

 

よくわからないのは「發行所」(発行所)が三つ並んでいることで、

これは何なんでしょうね?

 

横浜の地図なので、有隣堂出版部が出したんでしょうか?

違うのかな?

「赤」とか「青」とか色ごとにべつの発行所が担当しているのか?

そんなめんどくさいことやるのか??

 

定価35銭。

……広瀬正「マイナス・ゼロ」に 昭和7年の物の値段が書かれていますが、

うどん 一杯 一〇銭

牛乳 一本 五銭

エビスビール 一本 三三銭

 

そこから判断するに 35銭というのは 今の500~1000円くらいなのか??

 

さて、以下 ざっと1928年の横浜を見て行きたいですが、

 

横浜駅(横濱停車場)がほんとに何にもない場所に作られたのだとよくわかります。

 

赤丸が↓↓ 横浜駅。

 

今は大商業地帯ですが、この頃は地図でみるかぎり工業地帯っぽい。

石油会社のタンクがたくさんあったのではなかろうか。

「貯油所」という文字がいくつかみえます。

 

あと・・・

 

軍艦碇泊所 というのも気になる。

 

自分が学生時代住んでいた「保土ヶ谷区」は、

当時「保土ヶ谷町」で

「横濱市」ではなかったらしい。残念。

 

とはいえ、地図に書いてあったとしても

田んぼや畑ばかりでたいしておもしろいものではなかったとおもいますが。

 

大さん橋やら、赤レンガ倉庫やらの付近↓↓

赤線は「市電」です。路面電車。

あちこちに張り巡らされているので

ちょっとした距離の移動だったら、この頃のほうがはるかに便利だったんじゃないか?

そんな気がします。

 

上の画像をトリミングしたもの↓↓

色々と気になることだらけ。

 

まず、ホテルニューグランドが気になってしまう。

1927年、年末に渡辺仁のあの建物は竣工してますので

赤丸をつけた場所にホテルニューグランドはあるはず↓↓

 

山下公園は、震災の瓦礫で埋め立てて造ったらしいので、

まだないのか? 造成中か?

 

ホテルニューグランドのななめまえ。「報時球」とあるのがたいへん気になるが一体なにものか??

船舶向けのなにかの施設か??

 

右上↓↓

大さん橋は「税關桟橋」という名前だったようだ。

水上警察署、象の鼻は今と変わらないですな。

 

山手ですが、

 

布惠利須女学校が気になる。

フェリスかい。

 

根岸の競馬場が目立ってます。

 

お次。東京の地図です。

早わかり番地入 東京市全圖

 

東京都、ではなくて東京市。

これは1929年発行。

 

凡例として……

 

皇族邸 陸海軍官衙 華族邸……などは今の地図にはないでしょうねえ。

ないですね。

 

「電車」というのはもちろん市電。路面電車。

横浜の地図は赤線でしたが、

東京の地図の「市電」は赤だったり黒だったり青だったり路線によって色が違う。

なんにせよ、市電がメインの交通手段だったことがわかります。

 

最新横濱圖、も、おまけで付いてます。

 

が、よくみると、関東大震災で焼失したはずの「グランドホテル」が描かれていたりするので

信用性があるのか??

(グランドホテルは、ホテルニューグランドとは別会社で直接の関係はない)

 

宮城……皇居附近。

 

靖国神社 千鳥ヶ淵のあたり。

ほぼほぼ陸軍関係の施設ばかり。

 

上野は‥…

 

こんな感じ。

コルビュジエの西洋美術館のあたりはお寺だったのかな。

トーハクや動物園はだいたい同じなのか?

 

浅草も、

あんまし変わってなさそう。

「花やしき」

「六區」

「中ミセ」

「雷門」……今の立派な雷門ができたのは戦後らしいですが。

 

東京駅付近。

 

銀座はこんな。水の都だったということがよくわかる。

銀座は「四丁目」までしかない。(地名としては)

銀座五丁目~八丁目ができたのは昭和五年だったかな。

 

数寄屋橋付近。朝日新聞のビルがあるはずだが、書いてません。

邦楽座、という有名な映画館は書いてありますが。

 

築地は帝国海軍の施設ばかり。

 

それから勝鬨橋はまだなくて、「勝鬨の渡し」

船が出てたんでしょう。

勝鬨橋の竣工は1933年だそうです。

 

東京駅付近はこんな。

丸ビル 東京海上保険ビル 丸ノ内郵便局

モダンなビルヂングが立ち並ぶ一画です。

 

日比谷公園のあたり。

 

ははん。

日比谷公園をはさんで 帝國ホテルと海軍省が向かい合っているわけか。

海軍省の目の前は銅像が並んでいるらしい。

 

日比谷公園に「東郷大將 手植月桂樹」とあるのも気になる。

今もあるのかね?

 

今の国会議事堂は……

 

目下建設中。

「帝國議事堂建築場」というのがそれでしょう。

 

このあたりも陸軍関係の施設、多し。

 

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縮尺は 横浜の地図が15000分の1 東京が20000分の1

もうちょっと詳細な……5000分の1くらいの地図が欲しいのですが、

なかなか手に入らないです。