塔の作家・小津安二郎 その7 「出来ごころ」①(タロットの塔) | トトやんのすべて

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猫写真。
ブンガク。
および諸芸術作品への偉そうな評論をつづっていくブログです。

今まで 小津安二郎の初期作品

(「若き日」から「非常線の女」まで)

を、「塔」という観点から分析してきまして、

だんだんわかってきたことは――

 

①「塔」の意味は……

将来への希望、性的欲望のシンボル、若い頃に抱いていた純粋な夢、等々である。

 

と、いうことでした。

 

また描かれる「塔」は、

電柱、時計台、煙突、教会・銀行等の巨大建築物、もしくは樹木

という場合が多いのですが、

例外として

「花火」→「東京の合唱」

「時計」→「東京の女」

「ヒロイン(田中絹代)」「白いポット」→「非常線の女」

が、「塔」として登場するパターンもありました。

 

また、

②主人公たち、上を見上げる……

→視線の先には巨大構造物(塔)……

という黄金パターン。

 

この存在もわかりました。

物語の展開点においてこのパターンが繰り返されるのが小津作品の特徴です。

 

□□□□□□□□

が、「出来ごころ」がすごいのは、

さらに新しい意味の「塔」を小津安っさんが発明してしまったことです。

 

特に何の意味もないのだが――

ひたすらに不気味な「塔」のショットのことです。

 

THE TOWER.

小津ははたしてタロットの「塔」の存在を知っていたのでしょうか?

 

損失、トラブル、災害、事故、病気、破産、精算、崩壊、衝撃的な出来事、考えを一変させる出来事

(ナツメ社、手賀敬介「いちばんやさしいタロット・リーディングの教科書」53ページより)

 

大アルカナの「塔」の存在をまったく知らないで

あの不気味きわまりないガスタンクのショットをしきりに挿入するのだとしたら……

 

ほんとうに小津安二郎という男は天才だったのでしょう。

 

「出来ごころ」

表面上は軽いコメディなのですが、

しきりに繰り返される このガスタンク(塔)のイメージによって

なにか不気味な深淵をのぞきこむような恐怖感があります。

 

あと、ですね、

スラヴォイ・ジジェクというおじさんが映画を批評するときに

ジャック・ラカンの〈現実界〉というコトバをしきりに使うことも思いだしておきたい。

 

どうも、人間の通常の言語・シンボル体系では表象不可能な 現実の裂け目みたいなものを

〈現実界〉

といっているらしいです。

 

・ヒッチコック「北北西に進路をとれ」のラシュモア山

・リドリー・スコットの「エイリアン」

が、その例だと ジジェクは書いております。

 

たぶん

小津安二郎「出来ごころ」のガスタンク

を、そのリストに付け加えてもいいのではないでしょうか?

 

とにかく不気味なことをはじめてしまったのです、この青年監督は。

「全日記小津安二郎」を読みますと、

この頃(1933年)

睡眠薬(ヂャールというもの)の服用の記述が目立ちます。

そして水久保澄子にフラれてしまったらしいのもこの年です。

 

□□□□□□□□

もとい、冒頭からみていこうとおもいます。

 

11、「出来ごころ」(1933)

冒頭、浪花節語りのシーンからはじまります。

演目の「紺屋高尾」は、この「出来ごころ」の冒頭に持って来るのにいかにもふさわしい。

 

S8

小屋の前の立て旗、暗い中にはたはたとゆらめいている

 

のぼり、ですね↓↓

「塔」の一種とみていいかな。

 

S11 その附近

小暗い中に、バスケットを提げたうす汚ない女工風の少女(春江)が、途方にくれたように立っている。

 

うす汚い、といったって小津ですから

さっぱりキレイです。

後年のクロサワなら気合入れて汚しそうですが。

 

喜八、彼女を見ると、すぐ癖を出し、ちょっかいをかける。

次郎「よせやい!」と興味なさそうにたしなめ促す。

春江、当惑した感じで立っている。

 

カメラがローポジションなので

見上げるように写ります↓↓

 

あと、しょぼくれたプロレタリアートの二人

(坂本武 大日方伝)ですが、

この低いカメラ位置からだと実に堂々とした雰囲気になります。

見上げるアクション→塔 というのが黄金パターンですので……

「非常線の女」において

「塔」=「田中絹代」だったように

 

「塔」=「伏見信子」

なのだとおもわれますが……

冒頭のシーンではこの公式ははっきりしません。

 

まあ、あとあとはっきりと

「塔」=「伏見信子」だとわかるのですが。

それはあとで見ていきます。

 

女性のあごの下を触るというセクハラ行為(笑)

前作「非常線の女」で 岡譲二が水久保澄子にやってました。

 

このあと飯田蝶子のめし屋で食事のシーンがありまして……

 

S15 店の外

両人、出て来る。そして、一方を見て「あれ?」となる。

 

S16 小暗い横丁

さっきのうす汚ない少女春江が、まだしょんぼりしている。

 

前作からおなじみの「クラブ歯磨」と一緒に登場です。

これまた 巨大構造物=「塔」とみていいでしょう。

 

まあなんのかのあって、坂本武、

伏見信子を飯田蝶子のめし屋に泊めてやります。

 

S20 めざまし時計

 

「出来ごころ」……ガスタンク同様、時計も頻出します。

 

時計というと、

「東京の女」の岡田嘉子が時計を見上げるショットを思い出します。

振り子時計→江川宇礼雄の自殺

という流れでした。

 

時計はどうも「死」の匂いがする小道具のようです。

「全日記小津安二郎」をみると

30歳になるかならないかの歳で なにか無常観みたいなものにとらわれているようで……

その影響なのか? それとも作品の質の高まりをみるべきなのか?

 

S11 裏長屋風景(朝)

 

ここでガスタンクが登場します。

「塔」です。

 

通風器がにょきにょき。

「塔」です。

 

飯田蝶子に煙管……細長い物体を持たせています。

そして背後にも 細長い物体……(看板かなにかか?)

 

しかし、S11

美しい朝のスケッチです。

ガスタンクも洗濯ものに隠されていて、その不気味さが隠されています。

 

S39 ビール工場内

 

「全日記小津安二郎」

1933年7月16日(水)に

川口のUnion Beer

なる記述があります。

 

深読みするに、ビールが飲めるかもしれねえ

とかいう動機で 喜八たちの設定をビール工場勤務にしたのかもしれません。

 

「出来ごころ」の特徴として――

見上げる

見おろす

という視線の組み合わせで会話を構成する。

 

というのがあるようにおもえます。

 

例の……

◎主人公たち、上を見上げる……

→視線の先には巨大構造物(塔)……

という黄金パターン。

 

これの変奏曲です。

 

喜八(坂本武)が 次郎(大日方伝)に

春江(伏見信子)に惚れてしまった、と告白します。

 

次郎、笑って、

とっつぁん、齢を考えなよ

喜八、

お半長右衛門、知らねえな!

と、うそぶく。

 

大日方伝の背後に電柱(塔)

 

二人の背後に

ビルディング(塔)

 

二人のワークウェアがなんともかっこいいんですよね。

(特に大日方伝の着こなし)

 

小津はアメリカ映画から ワークウェアのかっこよさを学んだんだろうとおもいます。

まあ、本人のファッションはあくまで 英国流だったようですが。

 

上役の背後にも塔。

(一体なんなのかわからないですが)

 

S42 ガスタンクのある風景

 

ガスタンク2度目。

洗濯ものがないバージョン。

 

ね? この無機質・無表情さ、気味が悪いでしょ??

 

S45 店の中

 

伏見信子がひたすらお化粧してます。

「鏡」&「女」

というこれまた小津安っさんの大好きな組み合わせ。

 

カメラのローポジションについて

色々な人が 色々なことを言っているのですが、

 

トマス・ピンコ説は

小津のローポジションの由来

→女優さんの足を撮りたかったから!

ですね(笑)

 

半分冗談ですが、

↓↓こういうショットをみると……真実のような気がする。

 

今まで洋画のポスターばっかし貼り付けていた小津安っさんが

この作品では 和もののポスターばっかしです。

 

田中真澄とかいう人にいわせると

ナショナリズムだ! とか 右傾化だ!

とかいうことになるのですが……

 

そんな単純なことですかね?

 

大日方伝のワークウェアの着こなしとか もろにアメリカンなんですがね。

ガスタンクとか、どうやって説明するんですかね、田中何某は?

(もう亡くなったヒトですが)

 

えー次

塔、と関係ないのですが、

小津が生涯こだわり続けた BLACK & WHITE が出現します。

前作「非常線の女」では 田中絹代が黒と白の毛糸の束を持って登場しました。

 

S49 長屋の路地

喜八つぁん、えらくめかしたなあ

 

喜八「なあに……」とやにさがる。

長屋の衆、

どこの、お葬いだい?

 

喜八、

縁起でもねえ!

と、家へ戻る。

やがて、再び喜八、出て来る。

今度はいなせな格好をしている。そして、おとめの店の方へ行く。

 

「死」と「生」の対比……

「黒」と「白」の鮮やかな変換がみごとです。

 

人生さいごの作品まで、

このテーマにこだわり続けたのだから、

まあ、頑固というか、異常というか……

 

「秋刀魚の味」(1962)

S91 「かおる」の店内

かおる 「今日はどちらのお帰り――お葬式ですか」

 

平山 「ウーム、ま、そんなもんだよ」

かおる 「はい――(グラスを出して)おかけしましょうか、アレ」

平山 「アア……」

 

で、このあと軍艦マーチという 帝国海軍を象徴する音楽が流れます。

「帝国海軍」=「空っぽの、かつて存在した何か」

どこか「出来ごころ」のガスタンクを思い出させます。

 

まあ、ご存知ない方のために補足すると、

笠智衆はかつて海軍の駆逐艦の艦長をやっていたという設定。

あと、このシーンは 娘の岩下志麻の結婚式のあとのシーンです。

 

「出来ごころ」の分析、次回につづきます。