小津安二郎「東京物語」のすべて その9 | トトやんのすべて

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猫写真。
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および諸芸術作品への偉そうな評論をつづっていくブログです。

その9です。

平山周吉(笠智衆)が昔の同僚・服部さん(十朱久雄)の家を訪問しています。


「服部さん」なる人物ですが――

「晩春」では 笠智衆の原稿の清書をし、

「東京物語」では 代書屋を営んでいる、という具合。

演じる俳優は違いますが、

どちらも「書く」ことに関係しています。

なんでしょうね??


S96

服部「法科の学生ですがナ。法律のことはなんも知らんですなァ」

周吉(微笑して)「そうですか」

服部「パチンコやマージャンやいうて国の親御さんもなかなか大へんでさあ」


おなじみパチンコの登場。

前作「お茶漬けの味」のノンちゃん(鶴田浩二)を思い出します。


戦前のサイレント時代は「学生視点」で映画を作っていた小津安っさん。

この頃は――

すっかり部屋を貸す側の視点に立っています。



S97

なんとなくアメ横っぽい感じ。


お気に入りのとんかつ蓬莱屋の近くかも??


提灯――こういう周囲のスケール感を無視した巨大な物体、好きね。

おなじみ、ガスタンク、とか。

後期作品によくでてくる巨大な広告塔とか。


小津安っさん、自身も「巨大」な人だったせいか??

兵隊時代は、服(軍服です)がなくてこまったらしい。



S98

東野英治郎の沼田さんが合流。

沼田さんとの出会いは、周吉にとって「思いがけない」ことなので……

「うずまき」


で、

男3人で飲む、という「戸田家の兄妹」以来おなじみのパターン。

しかも、「戸田家」で、昌二郎(佐分利信)の父親の「死」が語られたように、


服部「うちなんかせめてどっちぞ生きとってくれたらとよう婆さんとも話すんじゃが……」

沼田「二人ともたあ痛かったなァ――(周吉に)あんたンとこは一人か」

周吉「うむ、次男をなあ」

服部「いやァ、もう戦争はこりごりじゃ」


戦争で息子が何人死んだか、という話が中心。


でも……まず最初の会話は、


服部「ホラ、どういうたかな、色の白いポチャッとした妓――」

沼田「梅ちゃんか」

服部「ありゃァ、あんた好きじゃったんじゃろ」


ぽっちゃり系の梅ちゃんなる人気者のはなし。

「生」(性?)と「死」のコンビネーション。



後年の「秋日和」S9は、

この「生」(性?)と「死」のコンビネーションの後継者といえます。


田口「やっぱりナニかね、あんな綺麗な女房持つと、男も早死にするもんかね」

間宮「イヤァ、三輪の奴、果報取りすぎたんだよ。ここんとこまた違った色気が出て来たじゃないか」


「未亡人の原節子がたまらねぇ」というはなしと、3人の男+ぽっちゃりした高橋とよ の組み合わせ……





S101

おでん屋さんの女将、桜むつ子登場。


中村伸郎、東野英治郎、で、桜むつ子、と――

「東京物語」から後期小津は始まるのだなあ、とおもます。


若いお姉ちゃんのいる店よりも、桜むつ子のいる店にいきたがる、

そんな世代の登場??

んー「彼岸花」では、若い高橋貞二が 桜むつ子の店に入り浸ってましたが……


会話の中身は――……


服部「はあァ、似とる似とる」

沼田「誰に?」

服部「梅ちゃんやろ?」

沼田「ちがうちがう、梅ちゃんはもっとよゥ肥えとった。うちの家内じゃ」

周吉「ホウ、そう云や似とるなァ」



われわれは当然「秋刀魚の味」を思い出すわけです。

笠智衆が岸田今日子をみて、亡くなった奥さんを思い出すあたり。


S39

平山「バアなんだがね、その女が若いころのお母さんによく似てるんだよ」

幸一「顔がですか」

平山「ウム、体つきもな。――そりゃアよく見りゃ大分ちがうよ。けど、下向いたりすると、この辺(と頬のあたりを撫でて)チョイと似てるんだ……」



沼田「いやァ、親の思うほど子供はやってくれましぇんなァ。第一、覇気がない。大鵬の志というものを知らん。それでわしゃァ、こないだも倅に云うた。そしたら倅の奴、東京は人が多ゆうて上がつかえとるなどと云やがる――あんた、どう思う。意気地のない話じゃろうが敢闘精神いうもんがなんにもない。わしゃァ、そんなつもりで育てたんじゃない……」


このあたりの長いセリフは、「一人息子」の飯田蝶子のセリフに重なります。


S81

良助「ねえ、おッ母さん、人の多い東京じゃ仕様がありませんよ」

おつね「そらあ先生は先生で――」

良助「いや誰だっておんなじですよ、仕様がありませんよ。これが東京なんですよ!」

おつね「お前そう東京東京っていうけんど東京で出世している人だってうんといるじゃねえしか」

良助「そりゃ中にはいますよ」

おつね「いるじゃねえしか。お前だって出世してえばっかしに、東京へ出て来たんじゃねえしか」

良助「そりゃそうですよ。でもそう思うようにいかないのが――」

おつね「思うようにいかずか! そのしょうねが、いけねえだに」


この短い会話の中に「東京」なる地名が、6回も語られる、という……


「東京」はつくづく、挫折の土地なのです。



桜むつ子が、

「ちょいと! もう十二時よ!」といい、


S102

「紀子のアパートの廊下」

「どこかの部屋で時計が十二時を打っている」


ボンボン時計がちゃんと12回鳴ります。


このことがなにを示しているか、というと、

「小津映画には『回想』がいっさいない」

ということ。


時間はぜったいに逆もどりしません。

全作品を通じて。これはちょいとすごいことだとおもいます。


S103

ここは――以前、触れましたが、


原節子と東山千栄子が「晩春」ごっこをする、というシーン。

えーと、なんだっけ?

だいぶ前の記事なので、忘れちゃった。

たしか「聖婚」とか書いたような。

このあたり、厚田雄春の証言。

 でも、小津さんて方は人見知りするんです。あんな大きな図体してても大変な恥ずかしがり屋だ。ですから、初めての女優さんに撮影前に会うときに、一応挨拶しますね。すると、小津さん、眼を伏せて頬のところがちょっと赤くなりますね。

 あの、『東京物語』で節ちゃんが東山千栄子さんの肩を揉むところがあるでしょう。あん時に、揉むってことは、本当なら、こういうふうにやるんだってことで、節ちゃんに説明するけど遠慮している。そこで、ぼくはね、「節ちゃんにももと、触ってやったらいいじゃないですか」っていったわけです。そしたら赤くなって、「馬鹿なこと出来ますか」。「でもいいですよ。小津さん二枚目ですよ」って(笑)。

(筑摩書房「小津安二郎物語」160ページより)


原節ちゃんの浴衣が、

「お茶漬けの味」の木暮美千代の浴衣と同じ。

引用。


セリフは――


紀子「いいえ――でもほんとによく来て頂いて……もう来て頂けないかと思ってましたわ」


とみ「思いがけのう昌二の蒲団に寝かしてもろうて……」


と、「予定外」=「うずまき」


↑「東京物語」


↓「晩春」


このあたりも引用。


S105

うらら美容院です。

ふいに起こされる、杉村春子と中村伸郎。



これが「うずまき」だらけ、という。



さらに「麦秋」の引用でもある、という……


↓「麦秋」S120 紀子が結婚を決めた直後です。


S107

酔っぱらって寝ちゃった笠智衆をどうするか?

というはなしですが……


庫造「キヨちゃん下へ来て貰って、二階に寝て貰おうか」

志げ「あんなに酔っぱらってて、二階なんか行けるもんですか」


と「空間論」に持っていくあたり、やはり小津安二郎。


で、翌朝。


S111


「お小遣いをあげる」というシーン。


もちろん「父ありき」の引用。


「東京物語」のすべて その3 をご覧くださいまし。



台本も……完璧だな。

ここはヘタクソが書くと、ただセンチメンタルに流れるだけだとおもうのだが。


紀子「またどうぞお母さま、東京へいらしったら……」

とみ「へえ……でも、もう来られるかどうか……ひまもないじゃろうけど、あんたも一度尾道へも来てよ」

紀子「伺いたいですわ、もう少し近ければ」

とみ「そうなあ、何しろ遠いけいのう……」


あくまで「空間論」ですべてを語ってしまう、この凄み。

分かる人には分かる、この超絶技巧。


もちろん、とみの危篤→葬儀という流れで、

紀子が尾道に行く、ここらへんの運命の皮肉もこもっていますし……


なによりすごいのは――

東山千栄子が、息子の遺影を目の前に、


手を合わせたり、お経をとなえたりなんだり、という、宗教的な動作をしないこと。


ただぼんやりたたずむ、という、これまた小津安っさんの凄み。


あるい、もう、このショットの時点で、

とみは死んだ息子と同じ世界に行っちゃってるのかもしれない??

深読みか??



あと、静止画ではなんも伝わりませんが……↓↓


ガチャガチャと、原節ちゃんがアパートのカギをかける。


小津作品でカギをかける、という動作――

「東京物語」以前にあっただろうか??


ありましたっけ?? 


S112

「夜 東京駅 十番ホーム下の待合所」

「遠距離列車に乗る客が行列を作って改札を待っている。中に周吉ととみ、それを見送りに来た、幸一、志げ、紀子が一団になっている」


――ベンチに座ってる。

とずっと思ってたのですが、今年7月の――海の日だっけ??


NHKの「ブラタモリ」の東京駅特集で、

「貸し椅子屋さん」とかいう稼業が昔あったと紹介されていて、


もしや??

とおもいました。


で、それから副音声解説をきいてみると、案の定、

「貸し椅子屋」がいた。とか話してる。

このシーン、

原節ちゃん達はお金を払って椅子を借りているわけです。


今なら、「ベンチを設置せい!!」

と即刻JRにクレームを入れるところですが……


おおらかな時代だったのか?

なんといいますか??――


東山千栄子が死の予感を語ります。


とみ「みんな忙しいのに、ほんまにお世話になって……でも、みんなにも会えたし、これでもう、もしものことがあっても、わざわざ来て貰わあでも……ええけ……」


はい。何度も言いますが、「空間論」にもっていく小津安っさん。


「来る」……「来てもらわなくてもいい」というところにもっていく。


これはもちろん「お迎えが来る」というような表現にもつながる……


えー……何が言いたいのかといいますと、

・「晩春」は「行く」映画である。

・「東京物語」は「来る」映画である。


なんかそんな気がします。

えー、以下、理由をいろいろ書いていきたいのですが、

字数制限なのか、なんなのか?

記事が保存できにくくなっているので、次回続きを書きます。


その10につづく。