ポール・デルヴォー | トトやんのすべて

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猫写真。
ブンガク。
および諸芸術作品への偉そうな評論をつづっていくブログです。

さいきん、絵をみにいっていない。


トマス・ピンコ先生は美術好きで、

ここんとこ、

基本、月1ペースでなんらかの展覧会へ行っていたんだが、


ええと、昨年のトーハク(東京国立博物館)

の東大寺展以来、行ってないような気がする。


国立新美術館の「シュルレアリスム展」あたり

どうかな?今週末にでも・・・??


トトやんのすべて


ポール・デルヴォ―が妙に好きなのである。


はじめての出会いは、上野でやってた(2006年)

「ベルギー王立美術館展」


夜汽車」(1957年)

という作品に呆気にとられたのが、はじまり。


駅と、停車している夜汽車と、

それを眺める少女の後ろ姿を

ひたすらに緻密に描いた作品。


「あ、こうやっていいのか!!」

そうおもった。


と、いうことは、おそらく自分でも

小説を書くということに思い悩んでいた時期だったのかもしれない。

(すっかり忘れているが)


「こうやっていい」

と、いう具体的な中身は、というと、


ただ、自分の好きなものを描く。

ということにつきる。

もうひとつ

観客・読者のことは完全に無視する。

ということもあるかもしれない。



デルヴォ―は、どういう奴かというと、

つまり、

7歳かそこらの少年なのである。

ものすごく美人、だけどちょっと冷たい感じもあるお母さんがいて、

父親は船乗りかなにかで、家にはいない。

いつもクレヨン片手になにか描いていて、

その、描かれている内容ときたら、

国家機密モノの、航空母艦の図面だったり、巡洋ミサイルの図面であったりする。

それもそのまま工場へ持って行って、図面としてすぐ使用できる精度の

悪魔的精度のソレ

ソレを、

コンパスも平行定規もなしに、

スッスッと

他愛もなく仕上げてゆく、絵画マシーン。

弾道計算も、構造計算もすべて頭の中で済ませます。


そして、少年は、その新兵器の図面の脇に

はだかのお母さんの絵を

チロッと付け加える。

お風呂かなにか入っている折にちらっと覗き見た

きれいなお母さんの体を。

石鹸を刻んでつくったような

繊細な体を。

(日本人ではないからきっと、一緒にお風呂に入ったりなんぞしない)


少年の絵は、

さっそくアメリカ製の、十数トンの扉付きの

金庫の奥深くに仕舞いこまれ、

チェコの工場にコピーが渡り、

数年後は、実際の兵器として

戦場で使われることとなる。

それは、イスラエルにおいてであるのか

アフガニスタンの奥地であるのか、

暖炉の火がゆらめく

あたたたかなリビングルームの

巨大なプラズマモニターに映し出された

幾百、幾千の死者の映像を見て

少年はクスッと

さもおかしそうに笑う。



「どうしたの?」お母さんが窓の外をみつめながら尋ねる。

「なんでもない」少年は答える。



瓦礫と廃墟。

血と骨。

そこに今夜は

お母さんを立たせてみよう。



そうおもっている。


□□□□□□□


ええと、なんでしたっけ?

そうそう、

デルヴォーってそんな奴なんですよ。きっと。

画集なんかみますと、

なんかガタイいい、おっさんの写真がでてきますが、ね。

ホントは7歳の男の子なんですよ、ぼくは知ってます。


デルヴォーの絵は、全国各地の美術館にあります。

ぼくのみたことがあるのは

横浜美術館と、埼玉県立近代美術館のもの。


埼玉の

」(1948)

は、けっこういいです。

これまた脈絡もなく「汽車」が出てきて

ルソー風の森の中で、

ヌードの女性が、ナルシスティックにうっとりしてます。

肌の、陶器をおもわせるあたたかなテクスチャーに

おもわずブルッと身震いしたくなります。


「ここは、どこ?」そう問いたくなります。

きっと。


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