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ぐーすけとりきのブログ

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2017年12月27日、武藤敬司は、東京・足立区の
苑田会人工関節センター病院で、病院長の杉本和隆の診
察を受けていた。

杉本は、人工関節手術において世界トップレベルの、年
間約1200の症例数を持ち、日本人に合わせた人口関
節の開発にも携わる整形外科医だ。

これまでに大相撲の横綱白鵬、NBAの選手など、数々
のアスリートの治療をサポートしてきた。

この日武藤は、杉本との出会いに最後の望みをかけてい
た。

1984年のデビュー間もない頃に負傷してから、これ
まで4回も手術を行ってきた両膝の痛みは、限界を超え
ていた。

複数の医師による診察を受け、人口関節を設置する手術
を勧められたが、入れれぼプロレスを続けることは難し
いと宣告されていた。

引退の覚悟も頭をよぎったが、リングに上がり続ける欲
望は捨てられなかった。

思い悩んでいたとき、かつて杉本の膝の手術を受けて回
復した、旧知の元キックボクサーで格闘技大会「K-1」
で活躍した武田幸三を通じ、紹介を受けた。

杉本の手術は、従来の半分ほどの切開で人工関節を移植
する「MIS(Minimally Invasive Surgery)最小侵
襲手術)」と呼ばれる方法で、術後の回復が格段に早い
ことが特徴だ。

杉本は、この方法を2003年にニューヨークで学び、
日本で最も早く「MIS」で執刀した医師だった。

さらに杉本の手術は、現役続行を望む武藤の希望をかな
えるものだった。

「普通の手術は、筋肉を切るのでスポーツ歩行が出来な
くなるんです。筋肉は切ってしまうとくっつかないんで
す。ボクは筋肉を切らない方法で手術するので、人工関
節を入れてもスポーツ歩行は可能なんです」

そして、「あとこれはちょっと出前みそなんですけど」
と前置きし、こう続けた。

「ボクは年間1200人ぐらい人工関節の手術をしてい
ますが、これ実は、世界一の手術件数なんです。世界一
手術をやっているということは、世界中から他の医師に
治療が難しいと診断された患者さんがボクのところにい
らっしゃるんです。ですから、ボクが断ったら、もう他
へ行くところがなくなってしまうんです」

武藤にとっての杉本は、リングに立ち続けるための唯一
の希望だった。

一方で、人工関節手術件数世界一の医師は「プロレスを
全く知らなかった」と言うように「武藤敬司」の名前に
は、お笑いタレントの神無月が「膝痛ぇよ~」と物まね
するイメージしか持っていなかった。

杉本は、人工関節手術を執刀するうえで「患者さん一人
一人の夢に耳を傾け、それに応える」という信念を持つ。

なぜ、人工関節が必要なのか、そして手術をすることで
どんな未来を切り開くことができるのかを、患者の立場
になって考えながら治療を行う。

重要なことは個々の患者の思いを聞くことで、そのため
診察では、対話に時間をかける。

「ですからボクは、いろんなスポーツ選手を診断してき
たんですけど、その人となりであったり、スポーツの特
質を勉強してから、お話をするようにしてきました。

ただ、プロレスには、あまり興味がなかったので、正直
武田君から武藤さんのお話を聞いたときは『どうなのか
なぁ』って思ったことは事実でした」

プロレスへ懐疑的だった杉本に武藤は、初めての診察で
自分が生きてきた歴史とプロレスへの思いを打ち明け、
その上で現役を続けるために今、人工関節が必要な理由
ろ訴えた。

熱く語る武藤に、杉本は冷静な視点から「でも武藤さん
はもう55歳でしょ?」と尋ねた。

普通のスポーツならとっくに引退している年齢でリング
に上がるために人工関節が必要という理由は、ある意味
ナンセンスだった。

すると武藤は「いや、先生、プロレスに年齢は関係ない
ですよ。70歳で現役のレスラーがいるって知りません
か?」と問いかけてきた。

プロレスラーは体が動かなくても、存在感に価値がある
ことを説き、「ボクの歴史なので読んでください」と2
004年に上梓した「武藤敬司自叙伝」(経済界刊)を
手渡した。

「キラッキラッと目を輝かせて自分のことを話すんですよ。
多分、彼は誰よりも自分が好きなんでしょうね」と笑っ
た杉本だったが「武藤さんのお話をお聞きしたとき、『
この人からプロレスを奪ったら死ねっていうことと同じ
だ』と思いました。

その瞬間、この人の治療方針はメスを入れることなんだ
と決めました。

プロレスへの熱意に揺り動かされ手術を決断したが、レ
ントゲンとMRI検査で両膝の状態を目の当たりにした
時に言葉を失った。

「伸びないし曲がらない。完全にロックしている状態で
まるで一本の棒みたいになっていました。

この膝でプロレスをやっていたというのは正直、信じら
れませんでした」

「普通、靭帯がすべて切れた状態で歩くことはできませ
ん。

武藤さんの場合は、放置したことで切れた靭帯が骨にく
っいて固まってずれなくなっていました。

ですから、無理やり骨にくっついて動かないように安定
させている状態で、そもそもそれはあり得ない無茶な足
なんです」

一般的にケガは、重症度によって6段階で評価される。

「無茶な足」となっていた右膝は最悪の「6」で、左膝
は「5」と判定された。

「6というのは、例えるならビルの3階くらいから落ち
た転落事故で負うようなケガのレベルです」

杉本が指摘した「転落事故」レベルの衝撃を、武藤はリ
ング上で、自らの意思で背負っていた。

それが、「ムーンライトプレス」だった。

倒れた相手を目掛けてトップロープからバック転して
ボディプレスする「ムーンライトプレス」は、デビュー
間もない頃から繰り出してきた。

華麗に空中を舞う一方で、両膝はバック転したときに高
さ3メートルほどまで達し、マットに叩きつけられる。

188センチ、110キロの全体重が加速度をつけて急
降下する負荷を、杉本は交通事故で膝を痛める「ダッシ
ュボード・インジャリー」に例えた。

「交通事故で追突されると、膝をダッシュボードにぶつ
けて靭帯を断裂したり、骨折したりする重傷を負うこと
があるんです。

それをダッシュボード・インジャリーと呼んでいるんで
すが、ムーンライトプレスのショックは、ほぼそれに近
いですね。

ですから、武藤さんの両膝は、試合でムーンライトプレ
スを出すたびに交通外傷レベルのストレスを受けていた
んです」

「ムーンライトプレス」が放つリング上の「光」が、目
に見えない残酷な膝という「影」を消していた。

日常生活で杖を突いて歩き、長い歩行が必要な時は車椅
子の助けを借りた。

手術を何度繰り返そうが、どれほど激痛に襲われようが
リングに上がれば武藤は、舞った。