当時、40歳を過ぎていた猪木は新日本プロレスの総帥
だったが、リング上の輝きと同時に道場での実力はまだ
健在だった。
ただ、武藤の感覚は違った。
柔道時代の経験が根底にあった。
「猪木さんと初めて組んだ時?正直言ってこんなもんか
って思ったよ。だって、柔道の時は組んだ瞬間、こいつ
人間じゃないって思うやつがいたんだよ。それに比べる
と猪木さんは、普通だったなぁ」
ただ、スパーリングでは足関節を決められたという。
「柔道に足関節はなかったから、それには対応できなか
った。あぁこういう入り方もあるんだなって、猪木さん
に勉強させてもらいましたていう感じだったよね」
一方で、武藤は技術的にも当時の新日本にはないテクニ
ックを導入していた。
それが、「ガードポジション」だった。
ガードポジションとは仰向けになった状態から相手の胴
体を両足で挟んだ体勢のことで、下になった状態で相手
の腕をとって決めるなど柔道では当たり前の技術だった。
総合格闘技が発達した現在では浸透した名称だが、当時
は名前すらなく「下になる」などと言っていた。
山田恵一(獣神サンダーライガー)は武藤にガードポジ
ションから決められたことがあった。
「武藤選手は、サブミッションのベースが柔道でした。
だから、スパーリングも柔術の練習をスタートする時の
ように相手の胴に足を回してから始める。
対する僕はアマチェアレスリングだから、四つん這いの
状態でスタートしてました。
当時は、そういう柔術みたいな戦い方に対しての免疫が
僕にはなかったから、上からかぶさると、武藤選手に下
からキュッて三角絞めを決められるんです。
それは強かったですよ」
山田が入ってきたばかりの練習生に決められたのは、武
藤が初めてだった。
そして、練習生に決められることは「それ以降もなかっ
たです」と明かした。
「ガードポジション」からの三角絞めは、柔道では当た
リ前のテクニックで、武藤にとって専門学校時代の練習
と同じことをやっただけだった。
「柔道の時からよくやっていたよ。
だけど、オレは寝技は好きじゃなかった。
道着で密着して寝転がってって汗臭くて嫌でね、練習も
泥臭くてしんどいんですよ。
オレは柔道に美を求めていたからね。
それは一本を取る美しさだよね。
柔道はこういう言葉があって、立ち技三年、寝技一年っ
てね。
これは習得するまでに立ち技は三年かかるけど、寝技は
一年で覚えるっていう意味でさ、立ち技ってセンスが必
要で簡単にできるもんじゃないんだよ。
だけど、寝技は努力すればどんどん強くなるんだよ。
ただ、オレは寝技が嫌いだっただけで、才能はあったん
だよ。なぜなら、体が柔らかかったからね」
東北柔道専門学校で身に着けた「ガードポジション」だ
ったが、道場で猪木から怒られたという。
「猪木さんから『そんな恰好するんじゃねぇ』って怒ら
れたよ。
ただ、その時、オレは『あぁこの人、言っていること違
うな』って思ったよ。
だって、寝技は下になったほうが有利だからね。
これは柔道では当たり前なんですよ。
上になると体勢が不安定だけど、下だと自分の体勢は安
定するし、乗っかかってきた相手の腕を取ったり、コン
トロールしやすいからね。
だから、オレは、猪木さんを無視して下から攻めていき
ましたよ」
猪木の教えを否定した武藤は、強さを追求する新日本プ
ロレス道場にも違和感を持っていた。
「強さというものでプロレスと柔道を比べるなら、柔道
の方が圧倒的に凄いよ。
だって人口が違うじゃん。
しかも新日本の道場ってわずか数十人の世界だよ。
その中で強さを競うっていっても説得力ないよ。
柔道では、オレがいた専門学校だって120人が練習し
てるんだよ。
だけど、そこには日本で一番強いヤツはいない。
みんな本当に強いヤツは大学に行ってオリンピックを目
指すわけだからね。
その先に柔道は世界で何万人っていう競技人口があって
その中で生き残った者がオリンピックで金メダルを取る
わけなんだよ。
そのトップクラスっていうのは、とてつもなく強いから
ね。
強さを競うということは、ある意味、競技に走るってい
うことだよね。
その競技という視点で考えたら、柔道にプロレスがかな
うわけないよな。
比べること自体がナンセンスだよ」
「だから、道場での強さがどうのこうのって、猪木さん
とかアマチェア競技の厳しさを知らない人たちが作り上
げた幻想というか思想なんだよ。
柔道の時は、組んでも岩みたいに動かない人とかいたけ
ど、新日本に入ってスパーやった時、誰とやっても、ど
ちらかというとこんなもんか?って思ったからね」
21歳で入門したとき、猪木が掲げた「プロレスこそ最
強」という看板を武藤は胸の中で否定した。
そして、柔道時代に「強くない」と自覚している自分が
道場でのスパーリングで先輩レスラーを決め、猪木と藤
原と対等に関節を取り合った事実が、新日本プロレス道
場の「最強幻想」を中から崩したのだ。