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ぐーすけとりきのブログ

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会社の幹部がドーム興行を最重要視する中で、武藤と蝶
野に思わぬ副産物が生まれた。

通常のシリーズを動かすnWoの流れは、現場監督の長
州が関与せず、二人で自由に描くことが許されたのだ。

当時を武藤は「めっちゃ面白かった」と声を弾ませる。

「あの時、いざ自分がnWoの中に入った時はめっちゃ
面白かったよ。

何せ、新日本プロレスという環境の中で小川がいて橋本
がいて猪木さんがいて、ドーム興行があったから、会社
の幹部の頭は、みんなそっちでいっぱいになっていて、
オレたちのことは、眼中にねぇんだよ。

だからその分、蝶野とオレが地方のリングを自由に展開
していたんだよ。

だって、オレがnWoに入るか入らないかってそんな話
題ばっかりで通常のシリーズを半年ぐらい回していたん
だよ。

あの時、動かしているのはオレらっていう自負もあった
し、自由にやっていたよ。

逆に小川を相手にしている橋本は、大変だなって思った
けど、こっちはめっちゃ面白おかしくnWoを楽しんで
いたよ。

あそこで、仕掛けていくことをすげぇ勉強したし、楽し
さを覚えていたよね。

そういうのが何となくつぼにはまってきた」

会社から押し付けられず自分たちでリングを動かすnW
oが武藤には快感だった。

蝶野は、ストーリーを展開する上でマスコミへのコメン
トを重視した。

「あの時は、マスコミを上手に使いましたよ。

自分たちで好きなコメントを言って、そのコメントが言
ったもん勝ち的なところがあったんで、新聞にはこうい
うコメント、じゃあ雑誌はこういうコメントって使いわ
けました。

それで、自分たちのストーリーをマスコミが膨らませて
くれた。

そういう活字を見て、長州さんたちも『こいつらとは感
覚が違うから任せるしかねぇな』ってなったんじゃない
のかな。

あの時、自分らが自由に動かせたのは、そういう形だっ
たと思います」

マスコミと連携してnWoの黒のイメージをスケールア
ップした蝶野は、テレビ中継の演出の指揮も取った。

当時の新日本プロレスとテレビ朝日の「ワールドプロレ
スリング」のスタッフの間には細かい連携はなく、試合
をそのまま放送する関係でしかなかった。

蝶野は、この旧弊を打破しスタッフと密に話し合いを重
ねた。

「煽り」の映像が今では、当たり前のように流れるが、
当時は斬新なものだった。試合の前に「つかみはOK」
を成し遂げるのである。

「アメリカを見ていましたからね。

アメリカは、テレビ班があって映像とリングが連動して
いました。

当時の日本は、映像の流し方が明らかにアメリカより遅
れていました。

オレもプロじゃないけど、カメラ一つ取っても、何で映
りかたが違うのかとか考えて、それからはスタッフに撮
る角度、距離感とか全部撮り方を言いました」

「ワールドプロレスリング」のオープニングも、まるで
ミュージックビデオのような映像を製作し放送した。

蝶野は、nWoをファッションにした。

新日本の営業部員の名刺を黒のnWoデザインに変え、
リングサイドのカメラマンが着るビブスも黒に変えた。

テレビマッチでは実況の辻よしなりアナを襲い、白いワ
イシャツに黒のスプレーで「nWo」と塗った。

入場テーマソングもイントロに「nWo」といれ、ドー
ム興業では天井に「nWo」のロゴマークが映し出され
るように演出した。

メンバーには、ファンの前に出るときは私服でも頭の先
から靴まで黒に統一することを要求した。

武藤はそんな蝶野のコーディネートをまるで傍観者のよ
うに見ていた。

興味の中心はリングの中だけだった。

「蝶野は、そういうのはマメだったよ。

あのマメさはオレにはないよ。

リングから離れたところで作り上げていくのはあんまり
好きじゃなかったから、地でいったほうがいいだろって
思ってたからね。

服の色とかだって何となく地でいきたかったよ。

だからファッションには興味がなかったかもしれねぇな。

興味があったのはリングをどう転がすかであって、そこ
に手応えを感じていたからね」