1998年にnWoは、新日本プロレス創立以来、当時
最高となる売り上げ高39億3000万円(東京商工リ
サーチ調べ)を団体にもたらせた。
この年は、1月4日に長州力、4月4日にはアントニオ
猪木が、共に東京ドームで引退試合を行い、中でも猪木
のファイナルマッチには、7万人という史上最高の観客
動員を記録したことも活況の原因ではあったが、一年を
通じてファンを惹きつけた原動力は、間違いなくnWo
だった。
中でも目を見張る売り上げを示したのが、nWoTシャ
ツだった。
メンバーが着た洗練された黒のTシャツは、ファンの心
をつかみ、社長の坂口征二によると年間で「7億円ぐら
い売れたって聞いた」と、凄まじい売り上げを記録した。
爆発的に売れたTシャツに象徴されるように、nWoは
社会現象となった。
沸騰する人気の裏で、蝶野は新日本への不満を募らせて
いた。
原因はドームのマッチメイクだった。
「地方でずっとメインを張って客を沸かせてオレらが流
れを作っていた。
その流れで種をまいてそのファンをドームに呼び込みた
いわけじゃないですか。
だけど、そこを膨らませずに違うカードをドームだけド
カンドカンと持っていかれる。
なぜ、ドームのメインはシリーズの流れとは違うカード
を持って来るのかって、いつも怒ってましたよ。
それは、一番頭に来ていましたよ。
その葛藤があったから、地方興行でも手を抜かずに、今
日やったことが明日どうなるかって毎回毎回考えて記者
にコメントして、リング上で戦ってましたよ」
蝶野の苛立ちを武藤も理解していた。
「あの頃の新日本は、ドーム中心の興行会社になってい
たからね。
ドームをいっぱい入れないとまずいんだよな。
かといって地方興行もあるわけで、本来はシリーズがあ
って、その延長線上で集大成としてドームがある形態じ
ゃなければいけないんだよ。
そのあたりで蝶野のジレンマは分かるよ。
かといってドームを満員にするネタがないから、無理し
てたこともあったし、その辺りからじょじょに崩れ始め
てきたかもしれないよな」
武藤は続ける。
「nWoって、あのTシャツがめちゃめちゃ売れたんだ
よ。
ロイヤリティも相当入ったんだけど、会社はオレらに、
焼き肉をごちそうするだけで終わりだったんだよ。
nWoのメンバーと女房とか家族も招待されて、叙々苑
だかどっか忘れたけど美味しい焼き肉を食わせてもらっ
て、それで終わりだった」
グッズは、山本小鉄が社長を務める子会社の「新日本プ
ロレスサービス」が管轄しており、焼き肉店でのねぎら
いの会を開いたのが山本だった。
通常なら、グッズは選手に売り上げの3%のロイヤリテ
ィが入っていたが、会社からは、nWoはWCWが管理
しているため、通常のグッズと同じように選手に分配す
ることはできないと説明されたという。
7億円の売り上げは、申し訳程度の高級焼き肉が報酬の
代わりだった。
「それにプラスしてオレと蝶野がIWGPダッグを取っ
た時に、ベルトにnWoってスプレーしたんだよ。
それで、オレらのフィギュアのベルトに「nWo」って
塗ったバージョンを売ったら、こんな小さな文字なのに
WCWが『nWoって入っているじゃないか。金よこ
せ』ってクレームをつけてきたんだ。
『オレらがさんざん踏ん張って引っ張ってnWoを日本
でこれだけ売って、盛り上げているのに』ってなって、
蝶野はnWoをやめて、TEAM2000を作ったんだ
よ」
武藤と蝶野が才能の限りを発揮したnWoのドラマは、
2000年の1・4東京ドームで終焉を迎えた。
あの熱く輝いた三年間、nWoジャパンがブレイクした
理由を蝶野はこう明かした。
「オレと武藤さんの二人の感性が面白かったんじゃない
ですかね。
遊び心もあるし、本来の新日本をぶっ潰すっていう目的
もあって、そこにカッコ良さもあった。
ただ、あのままアジア圏を制圧していれば面白かったん
ですけど…」
nWoとさよならした武藤は、2000年3月、戦場を
WCWに移した。
10年ぶりのWCW本格参戦だった。