文献上に見える最初の「切腹」は『保元物語』に記され
た源為朝とされるが、それ以前の時代から、切腹をする
ことによって身の潔白を晴らしたり、自らの最期を遂げ
るという考えはあったようだ。
だから、切腹はいつの時代の武士も取り入れていると思
われるだろうが、「切腹をした」という記述が見えない
人々がいる。
それが実は「平氏」である。
平氏は源氏とともに、平安時代を舞台に歴史をつくった
人々だが、「切腹をして果てた」という記録がどこにも
見られないのだ。
大隈三好「切腹の歴史」(雄山閣出版)によると、その
理由の一つとして、平氏は公家を倒して天下の権を握っ
たが、その途端公家になってしまったことを挙げている。
つまり、武士から脱皮して公家になった彼らには、切腹
という行為は野蛮で原始的なものに見え、また、そのよ
うな蛮勇を必要とする切腹を成し遂げる勇気を失ってい
たというわけである。
さらにその他の理由としては、平氏の没落に遭遇したの
は平氏の実権を築き上げたいわゆる「一世」ではなく、
その子孫の代であったので、武よりも「文」に意識が傾
いていたこともあるようだ。
平氏が滅亡する最後の戦いである壇ノ浦の戦い(118
5年)で、敵の大将である源義経を追い詰めた能登守教
経でさえも、安徳天皇の入水を見届けた後、切腹ではな
く、海に身を投げて死んでいる。