▶[UWF完全崩壊の真実」レビュー2・山本喧一・Uインター若手のエース | ぐーすけとりきのブログ

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1976年、大阪府生まれ。93年にUWFインターナショナル
入門。95年から始まった新日本プロレスとの全面対抗戦では、
高山善廣、安生洋二と「ザ・ゴールデン・カップス」を組み活躍
Uインター解散後はキングダムを経て、98年リングスに移籍。
99年に行われたUFC-J無差別級トーナメントで優勝。その
後もPRIDE等で格闘家として活躍。現在は札幌で格闘技道場
「POWER OF DREAM」と「居酒屋UWF道場」を経営。18年8
月4日に行われた「カッキーライド2018」でプロレスラーと
して限定復帰した。

1996年12月27日、後楽園ホール。

この大会をもって、UWFインターナショナルは5年半の歴史に
幕を閉じた。格闘技世界一決定戦、ルー・テーズゆかりの世界
チャンピオンベルトの復活、1億円トーナメント、そしてヒクソ
ン・グレイシーへの道場破り──。

常に攻めの姿勢を崩さず、マット界に過激な話題を提供し続けた
Uインターだったが、大きなスポンサーもテレビのレギュラー中
継もなかったため、その内実は自転車操業であり、旗揚げ3年目
から徐々に経営状態が悪化していく。

「最初に『Uインターが解散する』って聞いたときは、『捨てら
れた』って思いましたよ。高田さんと(Uインター取締役の鈴木
)健さんは、なんて勝手なんだろうって。俺らを対抗戦で働かせ
るだけ働かせて、結局借金がなくなったら会社潰しちゃうの?
みたいな。ところが後で聞いたら、実はあの時Uインターにはま
だ2億円の借金が残ってて、解散後、高田さんと健さんで1億円
ずつ負債を背負って、高田さんは芸能のギャラやPRIDEのフ
ァイトマネーで返して、健さんも焼き鳥屋さん(市屋宛)やって
10年かけて返した。でも、僕らがそれを聞いたのは、ずっと後
なんですよ。だからあの頃は高田さんの悪口を言ってた先輩もい
たし、いろんな意味で限界だったんでしょうね」

「そうしたら健さんが『Uインターは一度閉めるけど、またお金
を集めてくるから、来年からは新体制で再出発しよう』って持ち
かけてくれて。安生さんも『対抗戦はもう飽きた。シリアス路
線に戻ろう』って言うから、『それはいいですね、望むところで
す』となったんです。“安生最強説”がありましたけど、本当に
強かったし、僕らもみんな尊敬していたんです。その安生さんが
対抗戦で吹っ切れて、おちゃらけモードになって、ショックを受
けた後輩たちがいっぱいいた。僕も最初、どうやって安生さんに
ついていったらいいか分からなかった。でも、すべては会社のた
めにやっていたことだったんです。だから、その安生さんが『本
来のシリアス路線に戻って、もう一度やろう』って言ってくれた
ので、僕は二つ返事でしたよ」

その新団体、キングダムは当時のU系では最先端のルールを採用
し、試合のレベルも高かった。しかし、中心選手となった桜庭和
志、金原弘光、そして山本喧一らは、まだまだ知名度が低く、U
インターが崩壊した負のイメージも引きずっていたため、興行的
には苦戦が続いた。

「キングダムも最初はお金があったんですよ。某銀行の次期頭取
をはじめ、いろんな人が出資してくれて。旗揚げの時点で1億円
近い金があつまったはず。それが半年たつかたたないかくらいに、
もう金が底をつきそうだとなったんです。やっぱり興業って、金
がかかるんですよね。団体となるとランニングコストもかかるし。

考えてみたらUインター全盛期って、高田さんの名前で日本武道
館を毎月のようにフルハウスにして、それでやっと回してたんで
すよ。でもキングダムには高田さんは直接絡んでないし、高田ブ
ランドなしでUインターをやってるようなもんだったんで、興行
が苦戦してたんです。

あるとき、金原さんがメインの時に客が全然入ってなくて『な
んで俺がメインなのに客が入んねーだよ』ってブツブツ言ってた
時、会社の人間が苦笑してたっていうのを、僕は今でも忘れない。
金原さん、自分が高田さんになった気持ちになっちゃって、『な
ぜ入らないんだ』って言ってるんだけど、その理由は新入社員の
子でもわかるでしょって。首脳陣も困ってましたよ(笑)」

Uインター時代の大エースだった高田延彦は、キングダム旗揚げ
戦で上山龍起とエキジビジョンを行うなど、ある程度の協力こそ
するものの、選手として試合をすることは一度もなかった。

「キングダムの旗揚げ戦と第2戦くらいまでは、エキジビジョン
をやったり、解説席に座ったりしてたけど、リングで試合する気
配はないし、道場にも来ない。そうこうしているうちに、ヒクソ
ン戦をやるっていう話が入ってきて、これで高田さんも道場に来
て、みんなの輪に戻ってくれると思ったんですけど…」

「当時、僕らキングダムはすごくいい練習が出来てたんですよ。
レスリングコーチの安達(巧)さんが入ったり、エンセン(井上
)も来てたから、柔術も知ることが出来たし。だから関係者を通
じて、高田さんに『道場に来てください』っていうことは伝えて
たんだけど、なかなか来なくて。ヒクソン戦まで一か月切ってか
ら、ようやく説得に応じて道場に来たんだけど、いざスパーリン
グをやったら、僕らが高田さんの知らない柔術の技を使ってるこ
とに驚いちゃって。『なにこれ?いま、どうやったの?』みたい
な感じで。それで不安になって、柔術でヒクソンと3度対戦して
るっていうセルジオ・ルイスをブラジルから急遽呼んだんですよ。

ところがセルジオ先生が使う柔術殺法を見た瞬間、『え?こんな
こともやんの?こんなことも?えーっ!?』って、高田さんはよ
けいビックリしちゃって。あのタイミングで呼んだのは、完全に
逆効果でしたよね。柔術に対する怖さが増殖するだけでしたから」

高田はこの時、ヒクソンとどう闘えばいいか、セルジオにアドバ
イスを求めたという。彼の答えは「殴るな、蹴るな、組むな。相
手が疲れるまで、周囲をグルグルまわっていろ」。暗に「お前が
ヒクソンに勝てる方法はない」と宣告したも同然だった。

「高田さんはずっとUインターで“神様”だったから、相談する
相手もいなかったんでしょう。なにか進言するにしても、安生さ
んすら高田さんには気を遣いながらしゃべっていたから。高田さ
んは孤独だったと思うよ。それで一人で恐怖心を抱えて、ヒクソ
ン戦に出て行ってしまった。だからあの結果は、ああなるべくし
て、なったんですよね」

キングダムは98年2月26日に解散を発表。

桜庭、佐野、松井、豊永、安達コーチは高田道場へ、高山善廣、
垣原賢人は全日本プロレスへ、山本喧一、金原弘光、和田良覚レ
フェリーはリングスへ、それぞれ新しい戦場を求め。3月20日
横浜文化体育館のキングダム最終興行に出場した所属選手は、安
生洋二だけだった。

キングダム崩壊後、山本は98年3月28日の東京ベイNKホー
ル大会からリングスに定期参戦。7月5日付で正式所属となる。
ヤマケンから見た前田道場はどうだったのだろうか?

「なんかまとまりがなくてね。僕らはUインター時代には鬼軍曹
の宮戸(優光)がいて、道場の雰囲気は常にピリッとしていたし、
Uインター後期からは、若手も上の選手も関係なく、スパーリン
グをがんがん回していく練習だったんですけど、リングスは個人
個人が勝手に練習している感じだった。成瀬(昌由)と坂田(亘
)が仲悪くてギスギスしていて、山本宜久は我が道を行ってて、
田村さんはもうU-FILECAMPをつくって前田道場にはい
ませんでしたから。キングダムから来た僕らに対しては、壁があ
りましたよ。唯一、大人の対応をしていたのは高阪(剛)ぐらい
で。

それで、これじゃダメだなと思って、僕と金原さんがキングダム
式の練習を持ち込んで。毎日がんがんスパーリングするようにな
って、そこに高阪やデビュー前の滑川(康仁)が加わって、その
メンバーでよくやってましたよ。

リングスは前田さんも全然道場に来てなかったみたいだから、ず
っと“自主練習”みたいなものだったんでしょうね。僕らがリン
グスに入った時、まだ一応、前田さんも現役だったけど、懸垂一
回も出来なかったからね(笑)

うお~、衝撃的事実や、前田、懸垂が1回もできなかったのか。

前田さんが道場で、和田(良覚)のパーソナルトレーニングを受
けたことがあったんだけど、『じゃあ日明兄さん、今度は懸垂
です!』って言って、やろうとしたら全然上がらないんですよ。
『ん!アカン!上がらへん』って。しょうがないから和田さんが
『日明兄さんしっかり!』って言いながら前田さんの腰を抱えて
ヘルプで持ち上げてね。そのまま10回か20回ぐらい上げたん
だけど、前田さんの練習というより、120キロの前田さんを
抱えたままスクワット状態になってる和田さんの練習になっちゃ
ってるんだから(笑)。あれには笑いましたけどね。前田さん
もあの頃はもう、ヒザも悪いし、全然体力なくなっちゃて、ボロ
ボロなんだなって思いましたよ」

リングスは02年2月15日の横浜文化体育館大会を最後に活動
を休止。エメリヤーエンコ・ヒョードルらをはじめ、強豪外国人
選手を抱えていたが、WOWOWの放送終了とともに、当時の形
態を清算した。

「僕、リングスに入った時、ジャパンのある選手に言われました
よ。『おお、ヤマケン。リングスに来てよかったな。毎回WOW
OWに出るから、有名になれるぞ』って。それ聞いて呆れました
けどね。『こっちはバラエティーも含めて、地上波何回も出てる
わ!地上波の視聴率1%は視聴者100万人に相当すること知ら
んのか、お前』って。『WOWOWでお前、何パーセント取っと
んねん』って、心の中で思ってた(笑)リングスの連中はこんな
レベルなのかと。

結局、前田さんにおんぶで抱っこで、選手に危機感がなかったか
ら、リングスは潰れたんですよ。だからその後、Uインター出身
の選手はみんな、いろんなところで活躍したけど、リングス生え
抜きで誰かいますか?途中で海外に行った高阪ぐらいでしょ?
もう、その事実がすべてだって、僕は思いますね」