▼キラー・カーン自伝1 藤原喜明との「不穏試合」 | ぐーすけとりきのブログ

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発端は、3月13日の福山市体育館だった。その日、俺はセミ前で
上田さんとのシングルマッチが組まれたのだが、いざ花道を入場し
てリングに上がろうとしたら、階段が通常とは逆向きに設置されて
いた。

「あれっ、若手の誰かが慌てて反対に置いたのかな?」

俺はそう思いながら、リングに上がり、上田さんと試合をこなした。

階段を間違えて設置したからといって、別に激怒するようなことで
ない。だが、俺の後に猪木さんや藤波選手が試合をするので、控え室
に戻ってから若手に「誰がやったのかしらないけど、階段が逆だった
ぞ」と注意すると、意外な言葉が帰ってきた。

「あれは藤原さんがされたんですよ」

「えっ、藤原が!?」

どうして、藤原はそんなことをしたのか。理由はすぐにピンと来た。

藤原にしてみれば、一緒に西ドイツに遠征した時は同格だった俺が
アメリカで成功し、いざ凱旋したら上の方で使われていたから、ジ
ェラシーを感じたのだろう。しかし、この振る舞いはマナー違反だ。
その夜、宿舎に戻ってから俺は藤原に文句を言った。

「藤原、何だ、あれは!」

しかし、藤原はとぼけた表情を浮かべ、謝ろうとしなかった。

「お前なあ、プロレスは強いだけじゃダメなんだぞ。人間性も大事
なんだからな。人間性が認められなかったら、上がれるチャンスも
もらえないんだぞ」

俺は正論を言ったつもりである。しかし、その言葉にカチンと来た
のか、藤原がオレに向かってきた。周りの人間が止めに入ったので
その場は乱闘になることなく収まったが、俺はひとまず怒りを抑え
て自分の部屋に戻った。

おそらく、この話が上の人間にも伝わったのだろう。翌14日、
下松市体育館でいきなり俺と藤原のシングルマッチが組まれた。
誰が言いだしたのか知らないが、当時は地方のカードは坂口さんが
組んでいたはずである。

俺はプロとして、リング上とプライベートを完全に分けるタイプだ。
だから、普通に試合をこなすつもりだったが、リングに上がってみ
ると、藤原はいきり立っている。昨日の件を引きずっているのは明
らかだった。

試合が始まった途端、藤原がセメントで来た。ただし、俺もゴッチ
さんに習ってきたので対応できる。リング上の不穏な空気を察した
北沢さんがリングサイドに飛んで来て、「お前ら、何やってんだ!」
と俺たちを落ち着かせようとした。結局、最後は普通の試合に戻り
俺が勝ったのだが、控室に戻っても藤原は謝ってこなかった。

それを見て、上の人間はこれ以上関係がこじれたら余計なトラブル
が起きると思ったのだろう。俺と藤原は北沢さんの仲介で和解した
だけでなく、翌日の大会ではタッグまで組まされた。これが「不穏
試合」の真相である。

後年、俺が歌舞伎町で店をやっていたとき、藤原が来店したことが
ある。

「おお藤原、元気かあ」

「どうもお久しぶりです」

あの件は俺たちの間でとっくに消化済みだったが、藤原は改めて謝罪
してきた。

「俺も若かったから…小沢さん、あの時は申し訳なかった」

「いやいや、こっちも若かったし、お互いにそれぐらいの気持ちが
あったから」

断っておくが。俺は藤原を非難する気は全くない。あの状況で俺に
ジェラシーを抱かないようでは、そもそもプロレスラーとしてダメ
だろう。このように藤原とは完全に和解しており、たまに電話でや
りとりをするなど大人の付き合いが今でも続いている。

もうかなり前になるが、ウッチャンナンチャンのナンチャンがMC
をやってた「リングの魂」っていう番組で、「プロレス技かけず
嫌い」っていうコーナーがあった。本当にかけられたくない技を
当てるのだが、4つの技から一つ選ぶことになっているのだが、4
つとも、イタイ技で、ダチョウ倶楽部その餌食になっていた。
技を掛けるレスラーとして藤原喜明とキラー・カーンが出演していた。
技「モンゴリアンチョップ」で上島竜兵を羽交い締めにしていた藤原
が、カーンに“やれ”と促す。カーンは「組長可哀想だよ」と
チョップをためらい、しなかった。

それを見て、カーンは優しい人だなぁと思ったことだった。