▼3「君たちはどう生きるか」吉野源三郎レビュー・ナポレオンの英雄的精神・その1 | ぐーすけとりきのブログ

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正月に、コペル君が水谷君の家にいったときのこと、北見君と浦河
君と一緒にいたら、水谷君のお姉さんがお話をし始めた。

「さっき言ったように、このワグラムの戦いのとき、とてもすてき
な話があるの。

──1809年、一方はナポレオンの率いるフランス軍、一方はオ
ーストリアとロシアの連合軍、これがドナウのほとりでぶつかった
のね。

3つの国が、その運命を賭けての戦いだわ。むろん、大変な激戦だ
ったの。ナポレオンがいくら強くたって、相手は2つの国の連合軍
でしょう。そうやすやすとは勝てなかったの。

殊に、ロシアには有名なコサック騎兵があるでしょう。これが何度
も、何度も、ナポレオンの本営の近くまで襲撃してきたのよ。

ナポレオンの親衛隊が、必死に戦って、やっとのことで撃退するん
だけれど、撃退したかと思うと、またも、新手のコサック兵が、死
物狂いの勢いで、見方の死屍を乗り越えて襲って来るの。

天下無敵と言われた、ナポレオンの親衛隊も、何度、危なくなった
か知れなかった。

この時、ナポレオンは、戦場を見おろす小高い丘の上で、戦争の様
子を見守っていたんですって。コサック兵は、もちろん、ここを目
がけて襲撃してくるんだわ。だからナポレオンのそばにいた参謀た
ちは、気が気じゃあなかったのね。

『閣下。どうか一時ここをお立ち退き下さい』

そういって、何度もナポレオンに頼んだんですって。でもナポレオ
ンはいくら頼まれても、安全な場所に移ろうとはしないの。

──あんたたち、なぜ、ナポレオンがここを去りたがらなかったか、
それがわかる?」

こういってお姉さんは、両手を腰の左右にあてがい、両足を踏ん張
って、4人の返事を待った。4人はなんと答えていいかわからない
顔つきで、お姉さんを見上げていた。

「戦場の指揮をするだけなら、もっと安全な場所に移ったってでき
たのよ。だから軍隊を指揮するために、この丘から去れなかったわ
けじゃあないの。決してそうじゃないの。ナポレオンは敵のコサッ
クに、──敵のコサックに見とれちまったのよ。

『何という勇敢さだ!何という勇敢さだ!』そう言ってナポレオン
は自分の本営間近まで繰り返し繰り返し攻めてくるコサックを、
感嘆して見ていたんですって。自分の身の危険なんか忘れちまって
……。実際素晴らしいじゃないの」

「それに、人間は誰だって命が惜しいわ。誰だって、怪我をするの
いやだわ。戦争ってものあたし、まだ見たことないけど、実際そ
こに行ったら、ずいぶんこわいものだろうと思うわ。誰だって、は
じめての時は、きっとガタガタと震えるに違いないのよ。だけど─
だけど人間は、英雄的精神に燃えれば、そのこわさを忘れてしまえ
るんだわ。

 どんな苦しいことでも乗り越えてゆく勇気がわいて、惜しい命さ
え惜しくなくなってしまうんだわ。あたし、それが第一素晴らしい
ことだと思うの。人間が人間以上になることだもの──」

「苦しみが大きければ大きいほど、それを乗り越えていく喜びも
大きいの。だからもう死ぬこともおそろしくはないのよ。

あたし、それが英雄的精神というものだと思うわ」

コペル君は、家へ帰って、早速、叔父さんにナポレオンの話をした。

叔父さんはそれに答える。

              ★

コペル君。

君が急にナポレオン崇拝者になったので、叔父さんはびっくりした
が、話を聞いてみると、これは水谷君の姉さんの影響らしいね。

今日はなぜナポレオンの一生が僕たち感動させるのか、それを一つ
君と一緒に考えてみることにしよう。

第一にナポレオンの生涯を見て、僕たちが驚嘆するのは、その目覚
ましい活動だ。

ナポレオンのお父さんやお母さんは、コルシカ島の落ちぶれた貴族
で、ナポレオンは貧しい境遇に育った。ちょうど君たちくらいの年
には、両親のもとを離れて、フランス本国の士官学校に入れられて
いたが、同級生には金持ちの貴族の子が多く、彼はいつも仲間から
軽蔑されて、寂しく一人ぼっちになっていた。

学校を出て、隊付きの将校になった少尉中尉の時代にも、相変わら
ず貧乏で、青年らしい楽しみを追うことなんか、とてもできなかっ
た。はなやかな集まりから遠ざかって、一人コツコツと勉強してい
る、青白い顔をした、陰気な青年将校だった。

ところが、24の年に、フランス革命の大動乱が起こると共に、こ
のみすぼらしい貧乏将校が、ひとっとびに少将になってしまった。
人民軍がトゥーロンの要塞を攻め落としたとき、この青年将校が、
素晴らしい働きをして、手柄をたてたからだった。

それからが、君たちも知っている、あの有名なアルプス越えだ。
武装も整っていなければ、訓練も良く出来ていないボロボロの軍隊
を率い、突然アルプスを越えて、なだれのようにイタリーの平原に
侵入したかと思うと、たちまち、オーストリアの大軍を撃破し、つ
づいて、イタリーの都市を片っ端から攻め落としていった。

どこへいっても、勝利、勝利、勝利だ。

たくさんの戦利品を持ってパリに帰った時には、パリ中の人気を
一身に集めて、もう立派な凱旋将軍になっていた。

最初は、三人の執政官の中の一人となり、ついで終身の執政官と
なり、とうとうしまいにはフランスの共和政をやめて、自ら皇帝
の位に登ってしまった。

コペル君!このときナポレオンがいくつだったと思う。35歳だ
ったのだ。だから、わずか10年の間に、かえりみる人もなかっ
た貧乏将校の境涯から皇帝の位まで、一息に駆け上ってしまった
というわけだ。こんな目覚しい出世が他にあるものじゃあない。

オランダは早くからナポレオンに服していたが、いまや、イタリー
半島もナポレオンの支配のもとにつき、ドイツもナポレオンの権力
に屈服し、スペインも彼の勢力に従うことになった。こうして、
一時、ヨーロッパ大陸は、東のロシアを除くほか、ことごとくナポ
レオンの威令に服従することになってしまったんだ。

こうして、ヨーロッパ大陸に住む何千万の人間の運命が、たった
一人のナポレオンの意思で勝手に左右されるほどの、すばらしい
全盛時代がやってきた。ナポレオンは権勢の絶頂にのぼりつめた。

しかし、彼は──わずか数年でこの絶頂から、たちまち破滅の底に
落ち込んでいった。その没落のきっかけとなったのは、君たちも知
っている、あのロシア大遠征の失敗だった。

──これは、ご存知のとおり惨憺たる失敗に終わった。戦いには大
勝利をおさめ、いったんはロシアの首都モスクワまで占領したのだ
けれど、さすがのナポレオンも、酷寒と糧食の欠乏とには勝てないで
とうとう退却を開始せねばならなかった。

雪と氷の中を飢えに苦しみながら退却してくる途中で、何十万という
兵士たちは空しく凍え死んでいった。凍え死なないものも、コサック
の追撃にあって殺されていった。そして、最初ロシアに侵入したと
きには60万以上もあった大軍が、帰りには、ロシアの国境をを
越えた者が1万にも満たないとう、悲惨極まる有様になっていた。

そして、ナポレオンんも、とうとう滅亡の時がまわってきた。今度
ばかりは、ナポレオンも連合軍に勝つことができず、戦いに敗れて
捕らえられ、エルバ島に流されてしまった。

その後、いったんエルバ島から脱出し、もう一度兵を集めて、有名
なウォーターローの戦いで最後の決戦を試みたけれど、これも敗北
に終わり、ついにアフリカの西セント・ヘレナという離れ小島に、
囚人同様に監禁されることになってしまった。

気候の悪いその島で、5年半、不自由な暮らしをした後、彼は寂し
くそこで死んでいった。