国鉄が民営会社として再スタートしたのは、昭和62
年のことで、NTT(旧・日本電信電話公社)、JT
(旧・日本専売公社)に次いで3番目の大事業だった。
民営化の詳細は、その前年の昭和61年に制定された
「日本国有鉄道改革法」と、それを受けて設けられた
「旅客鉄道(株)および日本貨物鉄道(株)に関する
法律」の2つによって定められた。
国鉄清算事業団によると、JR7社の社名は「まず、
「旅客鉄道」と「貨物鉄道」の2つの社名に分けら
れ、貨物の方は全国規模なので社名の頭に「日本」
が付き、旅客のほうは全国を6ブロックに分けたの
で、各ブロック名(北海道、東日本、東海、西日本、
四国、九周が頭に付くかたちになった」という。
ちなみにJapanRailwayの頭文字であるJRといい通
称は、法律制定後に発足した7社の協議によって決
められたという。
ただし、北海道、四国、九州の旅客鉄道3社は、正
式な英語表記者名の中にJapanの文字はない。
その意味では、JRの呼称は日本国有鉄道の名残と
言えるかもしれない。
民営分割されたJR7社のリーダー的存在である「
東日本旅客鉄道」は唯一日本全国に鉄道ネットワー
クを持つ「貨物専門鉄道会社(JR貨物)」を除く
と、旅客鉄道各社の中では営業路線キロ数が最長、
売上高もトップである。
民営化の年は、この広範囲な営業地域での安全推進
と、初めて体験する民間企業としてのサービスの形
を作り上げることに力が注がれた。
事業の多角化が「爆発」するのは平成に入ってから
である。
旅行業、小売り、飲食業はもとより、駅ビル開発に
よるショッピングセンター、ホテル、クレジットカ
ード、住宅分譲などの事業に一気に進出してきた同
社の事業内容は「偉業種事業のデパート」を思わせ
る。
現在では同社は「総合生活サービス企業」を名乗っ
ている。