・日本ビクターのVHSビデオ誕生秘話 | ぐーすけとりきのブログ

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ビデオが登場した昭和45年当時は「ポスト・カラー
テレビの本命商品」といわれたが、家庭用として本格
的に普及するまでには長い年月がかかり、事業から
撤退する企業も続出した。


そのなかで一般家庭への普及に根気良く取り組み続け
た日本ビクターが、昭和51年に商品化したのが「V
HS」方式のビデオ。


世界標準となったVHSビデオの開発は、実はすでに
昭和30年代初頭から始まっていたかのである。


終戦直後、昭和20年東京──


高野鎮雄(22)はN会社に就職するため会社の住所
に訪れた。


「変だな?日本ビクターって書いてあるぞ」


「俺の入る会社じゃない」


「住所は合っているのに──どうしてビクターなんだ?」


「ビクターは蓄音機やテレビなどで有名だけと…」


玄関で立っていると、中から社員が出てきた。


「なにか用事かい?
ここはN社工場だったが半年前にビクターが買ったのさ」


「あんたも技術屋さんかい?
だったらここでもいいじゃないか。
あの高柳博士も入社するというぜ」


高野は運命の導きに驚きを覚えた。


「高柳健次郎先生が!?
高柳先生は、ぼくの恩師です」


高柳健次郎博士(46)は大正15年12月世界で初めて
ブラウン管による電送・受像を成功させた人で、古くから
ビクターと交流があった。


ビクターは昭和2年米国ビクターの出資で設立された。

レコード盤を製作するとともに蓄音機も開発している。


有名な犬のマークは英国人M・バラウドの愛犬で、彼の
死後、主人の声を蓄音機で聴かせたところ、ラッパの前
で聴き入った。


これを弟が一枚の絵に書き残し、蓄音機の発明者・ベル
リナーが商標登録した。


ビクターはこれを1900年自社マークとしたのである。


日本ビクターは昭和14年、日本初のテレビ受像機を開発
発売。


しかし、やがて戦争で中断。


戦後はレコードのヒットで音楽のビクターとして発展。


だが経営の危機を迎え松下幸之助の資本参加で再生する。


「ビクターを失くしたくない」


この経営強化が実り、さらにテレビ放送が本格的に始まる
と、家電ブームとなり、ビクターの経営も好転。


昭和31年、高野鎮雄は業務用シネカメラの開発をしていた。


「これは…?」


高野が目に留めたのは、米国アンペックス社の4ヘッド
ビデオだった。


技術者はこう語った。


「日本の放送局はいまほとんどこれを入れているんだ」


「これからはビデオが主になるよ」


高野は早速、上司に談判。


「部長、我が社もビデオを開発すべきです」


「君もそう思うか。
高柳博士もそういっておられる」


高柳博士と高野の二人三脚が始まった。


問題点はヘッドの部分だった。


「高野くん、A社のは4ヘッドでこれだと亜流だ。
ビクター独自の方式にしないと意味がないのだ」


「我が社は2ヘッドにしたい」


ヘッドとはテープの録画・再生をする部分だが、4
ヘッドではテープ構成に限界があるのだ。


これを2ヘッドにするとテープ走行も楽になるしスキャ
ン方式も合理的になる。


「2ヘッドにすれば小型化も可能ですね」


「ああ、画期的なビデオになる」


昭和34年2ヘッド・ヘリカルスキャン方式のVTR
「KV-1」を開発。


ところが、まったく売れなかった。


「なぜだ?!」


「ビデオは互換性が重要だったのだ」


「互換性?」


「これには考えが及ばなかったよ」


「ビデオはどの機種でも再生できなければ意味がない
のだ。A社との互換性がない「KV-1」は無用
の長物にすぎない」


しかし、その後、各社から2ヘッド式の小型のVTR
が出始めた。


たが、ほとんどは業務用だった。


しかし、高野の上司はVTRの家庭への普及に前向きだ
った。


「高野くん。
以前キミが入っていたようにVTRも家庭に浸透する
はずだ」


「ビクターの未来は家庭用ビデオにある」


「キミをビデオ事業部部長に任命する。
赤字の事業部を立て直してほしい」


高野のスタッフは試行錯誤検討を続けた。


「家庭用ビデオの普及にはさらに小型化が必要ではないか」


「第一に他社製品との互換性です」


「生産しやすいこと」


「いずれ登場する家庭用ビデオにも対応できること」


「安価で使いやすいこと」


「録画時間は今までのビデオの2倍の2時間はほしい」


「これらの条件を満たすビデオをビデオ・ホーム・シス
テムの頭文字をとって「VHS」と呼ぼう」


ここで青天の霹靂が起こった。


ソニーがベータ方式のビデオを完成させたのだ。


「これはすごい技術だ
こんなに小型にできるものなのか」


「ベータ方式は録画が1時間になっています
われわれも1時間にするべきかな?」


「いや、主なテレビ番組は1時間だが録りたいのは
映画だろう」


「わが社は2時間で行く」


「しかし、ビデオを普及させるには、どのメーカーの
ビデオでも再生できる互換性が最低条件だ」


「ほかのメーカーもVHSにしてもらえるよう技術を
公開して協力をあおごう」


しかし、役員会では反対意見も飛び出した。


「バカを言うな!」


「ビクターの技術を安売りするのか!?」


「我が社が開発したものを他社に教えるとはどういう
ことだね!」


高野は説明した。


「VTRは、今までの家電とは根本的に違うのです」


「つまり、システムなのです」


「同じシステムが普及しないと発展できません」


試作機を各メーカーに持ち込み意見交換をすることで
VHS方式のすぐれた点をアピールした。


数社がVHS方式に賛同。


昭和51年VHSビデオレコーダー「HR-3300」
発売。小型軽量化(約13・5㎏)連続2時間録画・
再生。


翌年、欧米で発表すると、ここでも高い評価を得た。


他のメーカーもVHS方式のVTRを生産することに
なる。


「我が社の技術ならビクターのVHSよりいい製品が
つくれる」


「ビクターのVHSは改良の余地がある」


皮肉にも、ソニー1社でやっているベータ方式より、
各社の意見を取り入れられるVHSのほうがメーカー
技術者のスピリット刺激したのだ。


こうして、いつしかVHSはベータ方式を凌駕した。


VHSが普及すると、本体もテープもコストが下がり
ついには世界に広まりVHSは世界標準となってしま
った。