何から書いていいのやら…。
この作者の作品は、ネタバレ無用である。
なぜならば、読者が本を読むのに、先入観をもって
いると、本を楽しめないからということらしい。
かといって、ところどころつまみ食いをするように
書評をしてもらっても、とりたてて憤りを感じるこ
ともないように僕には思える。
今回は、A→B→A→Bというふうに、章ごとに
二つの物語が同時並行的に流れているのではなく
ひとつの物語が、登場人物、場面を変えてめくる
めく流れている。
各章のタイトルがその章のなかに書かれている文章
から採られており、それを見つけるのも楽しい。
結構、手が込んでいる。
以下ネタバレ有り。
主人公は職業的な肖像画の作家で、小田原の友人
の別荘にすむことになった。
そして、奇妙な隣人とであい、幻聴のような鈴の
音にほだされて、井戸を発見する。
隣人と一緒に入ってみる。
ここらへんは「ねじまき鳥クロニクル」に似たよ
うな、シーンがあった。
別荘の屋根裏に隠されていた、もとのこの家の
持ち主が描いた、日本画を発見する。
そして、今は気が向かない肖像画を作成するこ
とを頼まれる。
しかし、取り組んでいるうちに、これが自分自身
がやりたいことだと思うようになり、書き遂げる。
例によって、幾人かの登場人物が現れる。
登場人物は、それぞれ、ジャガー、ボルボ、トヨタ
プリウス、カローラ・セダン、スバル・フォレス
ターに乗って現れる。
ドストエフスキーの小説からも、「1Q84」の
「カラマーゾフの兄弟」とったものではなく、
「悪霊」から採用している。
BGMはレコードのクラッシックかジャズだ。
日常生活もこじゃれている。
彼がスーパーで買い物をした時に、入れる袋は
レジ袋ではなく、紙袋でなくてはならないのだ。
ちょっと食事のシーンを抜粋してみよう。
そして我々は三人で食堂に移った。
二人はテーブルの前に腰掛け、私は台所で湯を
沸かし、アスパラガスとベーコンでつくったソ
ースをソースパンであたため、レタスとトマト
をタマネギとピーマンのサラダをつくった。
湯が沸くとパスタを茹でて、そのあいだにパセ
リをみじん切りにした。
冷蔵庫からアイスティーを出して、グラスに
注いだ。
二人の女性は私が台所できびきびと働く姿を
珍しそうに眺めていた。
何か手伝うことはないかと秋川笙子は尋ねた。
手伝ってもらうほどのことはないから、そこ
におとなしく座っていてください、と私は
いった。
どうです。
こじゃれてるでしょう?
日常生活のなんでもないワンシーンが小説と
化すのだ。
また、キーパーソンたる騎士団長の喋り方も
独特だ。
「じゃあもしぼくが「騎士団長は存在しない」と
思ってしまえば、あなたはもう存在しないわけ
だ」
「理論的には」と騎士団長は言った。
「しかしそれはあくまで理論上のことである。
現実にはそれは現実的ではあらない。(原文
ママ)
なぜならば、人が何かを考えるのをやめようと
思って、考えるのをやめることは、ほとんど不
可能だからだ。
何かを考えるのをやめようと考えるのも考えの
ひとつであって、その考えを持っている限り、
その何かもまた考えられているからだ。
何かを考えるのをやめるためには、それをやめ
ようと考えること自体をやめなくてはならない」
どうです。
哲学的でしょう?
村上春樹は、マラソンが趣味で、アメリカ滞在中
は、ボストンマラソンなど、有名なマラソンには
何度も完走している。
ある企画で、アテネのマラソン・コースを村上氏
が走っているのを映像に残そうと、写真に撮る
ということがあった。
村上氏は42・195キロを完走しようとする。
これにはカメラマンも驚いた。
だいたい有名人がマラソンの写真を撮るときは。
眺めのいい絶景を選んで、車から降り、走って
いる姿だけを撮影するらしいのだ。
つまみ食いである。
村上氏にとっては、フル・コースを走るのは
当たり前のことであったのだ。
だから、村上氏の文章にも奥深いものがある。
山あり谷ありである。
無駄なものがない。
ひとつのストーリーとして成り立っているか
らだ。
この本を読み進めているうちに、物語が急展開
をはじめ、残りあとこれくらいでちょうど終わ
るのか老婆心ながら気を揉んでいたのだが、
洗濯物をキチンと一つ一つ丁寧にたたむように、
風呂敷を四角く折りたたむように、事件が1個
1個解決していき、キレイに物語が終わった。
「1Q84」と違ってここまでキレイに文章が
終わっているので、続作はあるまい。
しかし第2巻の最終行に<第2部終わり>とあ
るので、第3巻も発行されるかもしれない。
拳銃自殺を試みた青豆のように…。
最後に、村上春樹が、毎年毎年ノーベル文学賞
の候補として上がるのだが、受賞できないのは
僕は、氏の文章が綺麗すぎるからだと思う。
先にも述べたように、なんのたわいもない
私生活を小説にしているのである。
性的描写も何シーンもあるが、綺麗なのである。
大地をうちふるがしながら、でてくるマグマの
ようなエネルギーは存在しないのである。
でも、これだけ売れているということは読者の
ハートに訴えるところが、少なからずあるのだ
ろう。
来年は、ノーベル文学賞受賞を祝おう。