▼自衛隊を憲法9条に適応させるには~「逆説の日本史」22巻を  読んで | ぐーすけとりきのブログ

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筆者は言霊と穢れ、怨霊鎮魂を日本史の三大テーマとして
扱っている。


なかでも、穢れは死に触れるということで、平安貴族の
時代から徹底的に忌避されてきた。


だから平安時代中期以降は兵部省(国軍)も刑部省(警察
および裁判所)も卿(きょう・長官)のなり手がいなくなって
しまった。


そして、この時代世界中どこの国でも国家反逆罪は死刑だ
が、その罪に問われた伴善男(とものよしお)も菅原道真
も死刑にはならなかった。


人権思想があったわけではない。


国家の担当者が死の穢れに触れたくなかっただけの話である。


罪というケガレを「水に流す」という形で処理したのだ。


だが軍隊も警察もないのでは治安は大きく乱れる。


京では食っていくためには「ケガレ仕事」でも引き受けると
いう中級貴族を検非違使という特別警察に任じてなんとか
しのいだが、地方の乱れは如何ともし難い。


そこで特に関東にいた縄文人の末裔たちが、京から関東へ
土着した元貴族たちを頭に頂き、自分の生命財産は自分
で守るという集団を形成した。


これが武士団つまりサムライである。


彼らは元々「肉食系」だからケガレを恐れない。


戦争は得意中の得意だ。


だから、そういうことで「手を汚したくない」天皇や
貴族たちが彼らを最初はガードマンとして、そして次第
に国家の治安を担当する者として政治の実験を委ねるよ
うになった。


そのケガレを現在、一手に引き受けているのが自衛隊である。


日本という国を守ってくれている国防軍である。


筆者は、戦後日本の保守勢力がずっと行ってきた「解釈
改憲路線」、つまり憲法改正は行わずに、法律の解釈
で実質的な戦力である自衛隊を認知させ、日本の防衛を
担当させる、という路線には反対であるという。


なぜなら、これは最高裁判所が何と言おうと「ゴマカシ」に
は違いないからだ。


日本国憲法、特に第9条を率直に読む限りは、誰がどう考え
ても自衛隊という戦車や戦闘機を保持している集団は明らか
に戦力を持つ「軍隊」であり、それを持つことは憲法違反
だと考えるからである。


だからこそ憲法を変えればいいのである、と筆者は言う。


それが合法的であり論理的であり自衛隊員への差別を無くす
ためにも最善の方法なのである。


憲法を変えることに不安があるのならきちんと条文を整備
すればいい。


たとえば第9条第1項において「日本国は国土と国民を
守るために最低限の軍事力を保持する」、第2項「侵略
戦争は行わず、国際協調のもとに世界平和を目指す」、
第3項「徴兵制はこれを認めない」、あるいは「核兵器
は保持しない」等々、「日本を戦前のような国家にした
くない」というならば、安保法案反対という法律論議で
なく真正面から憲法論議に取り組むべきである、それが
法治国家の筋というものだろう。


とはいっても、外国ならともかく日本には憲法改正とい
う問題には大きな壁がある。


護憲派が主張する「戦後70年の平和は日本国憲法によ
って守られた」というのは、外国では通用しない議論
である。


ヨシフ・スターリンも毛沢東も金日成も日本国憲法を
守る義務はない。


「日本人だけが守らねばならない規則」は侵略の歯止め
にはならないという事実を述べれば、外国では話はそれ
で終わる。


しかし日本では、それでは終わらない。


それでも非論理の世界で「憲法があったから日本は平和
だったんだ!」と声高に叫ぶ人々がいるからだ。


冷静に論理的に考えれば、日本国憲法特に第9条は欠陥
憲法であり欠陥条項である。


なぜなら国民が軍隊でなければ守れないような危難に
陥ったとき、国家は「行政サービス」として国民を
救わなければならない。


そのためには、当然軍隊を保持し育成しておかなければ
ならず、それは国家の義務でもあるはずだ。


だが日本国憲法第9条はその義務を履行するための組織
(軍隊)を持つことを否定している。


これはたとえば厚生労働省が伝染病に関する治療あるい
は研究機関を持つことを禁じているのと同じで、重大
な欠陥であることは紛れもない。


アメリカあたりならば民間から「この憲法では国民の
安全を守れない」と改正要求の訴訟が起こっても不思議
はない。


だが日本では護憲派の中にも弁護士などの法曹界の人間が
大勢いて、本来法律の欠陥を糺すべき立場の人間が、欠陥
憲法を大いに支持している。


憲法学者もそうだ。


ほとんどの学者が、日本国憲法第9条を死守すべきだと
息巻いている。


「護憲派」という言葉も不思議なもので、これは「第9条
死守派」とでも呼ぶべきものかも知れない。


他の憲法解釈は判例の積み重ねで対応できるからである


9条だけが、理想と現実とが乖離している。


天皇陛下が「国務を行うことが難儀になった」とおっしゃって
おり、天皇の退位を皇室典範で補おうとする動きが最近あるが
これこそは、憲法改正で論議すべきではないかと私は考える。


GHQの押しつけ憲法であろうとも、改正条項が完備されている
ので、真正面から正々堂々と憲法改正を貫くべきである。


アメリカでも憲法改正は、「改正憲法第○○条」と、バンバン
行われている。


日本で憲法改正が行われないのも、一旦これを許してしまうと
なし崩しに、9条だけでなく、その都度、行政に都合の良い
改憲が行われてしまうという危惧がある点にも注意したい。


何度も言うように、喫緊の改憲は9条しかない。


国民を愚弄する「朝日新聞」などのデマゴークに惑わされず
とつとつと憲法改正すべきだと思うが、いかがであろうか。


・本稿は、井沢元彦
「逆説の日本史第22巻・西南戦争と大久保暗殺の謎」を
参照させていただきました。