■ 落としの名人 | ぐーすけとりきのブログ

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あるヤクザ同士の抗争で、けが人が出た。


犯人は抗争の当事者である一方の組織に名を連ねる若い
男だった。


将来は組の中で出世して、この世界で「ひとかどのモノ」
になりたいと思っている、いわゆるヤクザカルトと呼ばれ
る類だ。


もちろん、すぐにでも逮捕することはできるが、そうした
ヤクザカルトは、いざ逮捕というと大暴れし、一般市民
にもどれほど迷惑がかかるかわからない。


なんとか穏便にお縄にする方法はないものかと警察が
考えるのは当然のことだ。


そこで、老刑事A巡査部長と刑事になりたての私がこの
問題に当たることになった。


「お前はなにもいわずにそばで見ていろ」


といわれ、赴いたのは、都内の一流ホテルの喫茶コーナー
だ。


ほどなくしてそこに現れたのは、これから捕まえようという
若いヤクザが所属する組の幹部だ。


「どうだい、最近は?何かと忙しそうじゃないか」


「はあ、何せいろいろ厄介事が多くて。なかなかゆっくり
とはさせてもらえませんねえ。ところで今日は、どんな
用件で?」


「まあ、大したことじゃないんだけどね。お前んとこに
磯部っていう若いのがいるだろ?」


「ええ…。磯部が何か?」


老刑事は、そこまでいうと、ゆっくりと懐からたばこを
取り出し、ひしゃげた一本を丹念にまっすぐと延ばし
はじめた。


それを横で見ていた私は、相手が磯部のどんな話か知り
たそうにしている様子が手に取るように分かった。


先輩刑事は相手のはやる心を知りながら、わざと焦らして
いるのだ。


ようやくタバコに火をつけ、口いっぱいの煙を吐き出すと
老刑事がおもむろに、


「あいつを捕る」


「はあ……?」


「ついてはお前にちょっと頼みがあるんだ」


「なんでしょうか?」


老刑事から「頼みがある」といわれたその幹部は、「一体
何事だ」といわんばかりに、一瞬、緊張した様子。


しかし、老刑事はそんな事は一切、おかまいなし。


こんどはゆっくりとコーヒーに手を伸ばし、大きな音を
立てて「ズズッ」と啜って、おおきなため息をもらす。


この間の取り方がいかにもうまい。


まるで落語家かなにかのように、ゆったりと観客の反応
を見ているかのようだ。


そして、先輩刑事の次の言葉に、今度は私が驚いた。


「実はもう、24時間の行確体制に入っているんだ。
だからいつでも捕れるんだが、ただ捕まったんじゃ、
お前にも何かと面倒が及ぶだろう。だから、お前の方で
磯辺を飛ばさないようにしてほしいんだ」


そのとき、我々には磯部の居所がわからず、彼の情婦の
家を新米刑事が一人でこっそり見張っているというお寒い
状況だったのだ。


行確体制というのは行動確認体制の略で、行動が全て把握
されているという意味で、多くの捜査官が磯部の周辺を
抑えているという意味だ。


あまりにも現実とは大きな違いがあった。


この先輩刑事は警察の人手不足を、犯人の上司にあたる
幹部に補わせようと計ったのだ。


再び訪れた、沈黙の世界。


老刑事は相変わらず、ゆったりとたばこの煙をくゆらせ
ながら、じっと相手の反応を待っている。


アルマーニのスーツに身を包み、しゃれたカルダンのネ
クタイ。腕には金の鎖が見え隠れしている。


どこから見てもスキのないパリッとした格好の幹部。


それに対し、老刑事は例えようもない、よれよれの上着。


ワイシャツの襟は、奥さんが手を抜いたとしか思えない
ような、二重のアイロン皺が入っている。


どう見ても、一緒のテーブルでお茶を飲むことじたい、
滑稽な姿にしか映らないような対照的な二人…。


永遠とも思えるような長い沈黙の末に、


「わかりました。自分の責任で磯部の身柄を抑えて
 おきます」


組の幹部はそういって、協力を受け入れたのだ。


ヤクザの世界は一種の人気商売に近い。


自分の評判が組の中で高くなればなるほど、実入りも
地位も上がっていく。


もちろん、仲間を警察に売ったりすれば、その地位を
瞬時に失う事になるが、この幹部は、この老刑事の
誘いを逆に活用することで、組内の勢力を拡大する
ほうを選んだのだ。


その後、この幹部は磯辺に、


「お前、警察にもっていかれるぞ。どうやら、もう
逃げられそうもない状態だ」


といって、老刑事の言葉を伝えた。


こうすることで、この幹部は


「オレには警察内に情報網がある」


ということを印象づけたのだ。


そして幹部は更に


「お前の塩噌(えんそ)はオレが面倒を見てやるから
安心してお勤めしてこい」


と告げたのだ。


塩噌というのは、ムショ暮らしをしている間、家族を
養っていく生活費のことだ。


どんな犯罪者も、いざ刑務所送りになるというときには、
女房や幼い息子の生活をどうするかという不安を持つも
のだ。


しかし、この幹部が家族の面倒を見てくれるという約束
をしたことで、その不安感はなくなる。


しかも、刑期中、彼の面会に訪れた若い仲間は、おそらく
磯辺から


「あのアニキが前もって言ってくれたおかげで、いろいろ
準備が出来た。心置きなくムショ暮らしができるのも、ア
ニキのおかげなんだ」


という言葉を聞くに違いない。若い連中の中では


「あのアニキは面倒見が良い」


という評判が立ち、幹部の株はうなぎ登りに上がっていく
ことになる。


そこまで見越したうえで、老刑事は幹部を取り込んだのだ。


さて、この老刑事の企みが、どうしてここまで功を奏した
のだろうか?


その理由は、話を持ちかけるときの「間」が原因だ。


知りたいという気持ちが芽生えたところで、わざと時間を
かけ、情報のかけらを見せる。


そして、その先をもっと知りたいと思ったところで、再び
「間」をとって、焦らす。


この話術、つまり、話をする際の適度な「間」が、老刑事
の放った突拍子もない駆け引きを成功させたのだ。


もし、この「間」がなければ、絶対に相手はこの提案に乗って
こなかっただろう。


それどころか「そんなことできるわけがねえだろう」と一蹴
され、かえって磯部の高飛びに一役買ったかもしれない。


磯部の柄取り(逮捕)話しには、まだ先がある。


この幹部はとりあえず老刑事の提案を受け入れてくれたが、
問題はその約束をどうやって果たさせるかということにある。


一度は約束したものの、やはり


「身内を売るのはまずい」


といって、磯辺を逃がしてしまい、「老刑事には『申し訳ない』」
と頭を下げてしまえば、それで終わりだ。


ヤクザの幹部にすれば、それで「済み」ということになるが、
捜査側はそうはいかない。


なにせ一人の犯罪者が逃亡しているのだ。


なんとか探し出し、罪の償いをさせなければ、この先、さらに
また、どんな罪を重ねるかも知れない。


危険極まる野獣を夜に放っているのと同じことになる。


そうなると、今度はさらに人手を割き、徹底した捜査をしな
ければならない。


では、この老刑事、どうやってそのリスクを回避したのか。


今度はそれをご紹介しよう。


幹部が自分の責任で磯部の身柄を抑えるといった言葉を、
じっくりと噛みしめていた老刑事は、しばらくしてこんな
話を切り出したのだ。


「成島連合の篠田は、最近糖尿病が悪化しているらしいな。
先だって、うまいものが食えなくなって困ったってぼやいて
いたよ。お前も食い物には気をつけろよ」


成島連合はこの幹部が所属する組の上部団体で、篠田はそこ
の最高幹部の一人だ。


刑事という職業柄、さまざまな組織に手帳一つで出入りする
ことができるのだが、老刑事はあえて、幹部の上役の名前
を会話の中に盛り込み、


「自分はお前の上役ともつながりがあるぞ」


ということを印象づけたのだ。


この一言で、幹部の心には


「この刑事との約束を守らなければ、篠田のほうにどんな
クレームがつけられるかしれない」


という不安感がよぎる。


ヤクザ社会であろうとなかろうと、上役に悪い印象をもたれ
れば、その後の出世は見込めない。


余程の努力をしなければ、汚名を拭い去り、出世街道に返り
咲くのは難しい。


その立場を利用したこの老刑事のひと言。


ほれぼれするような思いがしたものだ。