大学のゼミ(刑訴法)の後輩で、勝気な女の子がいた。
彼女は、ことあるごとにつっかかり、
「私、アメリカですから」と見えを切った。
一個上の俺たちは、彼女の就職を心配したものだった。
ゼミの先生が荻窪に80坪の土地を購入したと嬉しげに語ると
「私んち、1000坪あります」といった調子だったから…
ヒラリーは1947年イリノイ州シカゴ郊外で、繊維工場を経営
する父と、専業主婦の母の間に生まれる。
両親のいずれも、どんな人生になろうとも生き抜けるように強く
なれと、子供たちに教え込んだ。自分のことは自分の力で守りなさ
い。パークリッジに引っ越してまもなく 母は私が外に出て遊び
たがらないことに気がついた。ときには泣いて帰ってきて、向かい
の女の子に小突き回されるのだとぐずった。スージー・オキャラ
ハンというその少女には兄たちがいて、荒っぽく遊ぶのに慣れてい
た。私はまだ4歳だったが、母は私が恐れに負けて今後の人生
ずっと負け犬で通すことになってはいけないと思ったのだろう。
ある日、家に駆け込んできた私を母は押しとどめていった。
「戻りなさい」命令だった。「もしスージーがあなたをぶったなら
ぶち返しなさい。私が許す。自分のことは自分で守るの。この家に
は臆病者を置いとく場所なんかないんだから」。後で聞いたところ
では、母は私が肩をいからせて通りを渡っていくのを食堂のカーテ
ンの陰からうかがってみていたらしい。
それから、数分後、私は勝ち誇って戻ってきた。「もう男の子
とも遊べるよ。それにスージーはお友達」