戦艦大和の進水は、1940年8月8日のことである。日本海軍
が世界一の戦艦を建造したとして、呉海軍工廠で行われた進水式に
は、天皇がご臨席するという噂も流れた。しかし巨大戦艦の建造
はトップシークレットであり、結局、海軍大臣代理が臨席し、
「大和」の命名式も、出席者に聞こえるか、聞こえないかの小声で
行われたという。
就役は1941年12月16日。翌年2月12日、連合艦隊の
旗艦となった。この大和には、当時の最新技術が多用され、主砲
としては世界最大の46センチ砲が搭載された。その最大射程距離
は4万2000メートル。最大仰角45度で発射すると、弾丸は
時速2800キロの速さで発射され、約90秒で42キロ先に着弾
した。つまり、戦艦大和の最大射程距離は、フルマラソンで走る
距離とほぼおなじだったのだ。
たとえば、東京駅から戦艦大和が主砲をぶっ放すと、横浜方面
なら戸塚駅、千葉方面なら千葉駅、中央線方面なら日野駅まで届く
距離だった。また大阪駅から放てば、西へは須磨駅、北へは三田駅
までは届いた計算だ。
ちなみに、主砲3門を収めた砲塔の重さは、2760トン。それ
までの戦艦は、砲塔を水圧で駆動させていたが、2760トンの
砲塔に水圧を使うと、砲塔1基につき8台、計24台ものポンプが
必要となった。いかに巨艦でも、そんなスペースは取れないので、
日本海軍はタービン水圧ポンプを新規開発。この駆動システムは、
日本海軍が独自に開発したもので、水圧ポンプの性能には、戦後、
アメリカが驚嘆したという。
もっとも、その3基の主砲は、1945年4月7日、アメリカ軍
の攻撃を受けて沈没した際、すべて脱落。現在は、長崎県男女群島
女島の南方176キロ、水深345メートルの海底に、塔のように
同一線上に直立して沈んでいる。