少子化の影響で大学志願者の数は年々減少していて、経営難
にあえぐ大学は少なくない。「私学の雄」である早稲田と慶応
でさえのんきにかまえていられなくなってきた。ピーク時の
早稲田には、16万人もの志願者が殺到したものだが、それから
わずか10年後には、10万人強までに激減。そんな早稲田の
危機的状況を尻目に、慶応は大学改革を進め、着実に志願者を
増やしていった。とくに、湘南藤沢キャンパス(SFP)の開校
は受験生の人気をさらい、大学としての評価も高まった。
そこで早稲田も、遅ればせながら改革に乗り出すことに。
新しい学部や大学院を開設し、外部から著名人を教授として
まねき、野球やラグビーなどの体育会も強化。また、実務の
スペシャリストを養成する専門職大学院「公共経営研究科」も
注目されている。これらの改革が功を奏し、志願者数は増加。
名門復活を世にアピールした。
伝統とブランドだけで学生が集まる時代ではなくなり、昔
ながらの校風に縛られない改革も必要になってきたようだ。
【慶應義塾大学の創立】
・1858年、福沢諭吉が開設した蘭学塾が母体
・1868年 慶應義塾と命名
国家権力や社会風潮に迎合しない態度を基本と
しながら、智徳以上に「気品」を重視
【早稲田大学の創立】
・1882年 大隈重信が創立した東京専門学校が母体
・1902年 早稲田大学が誕生
「学問の独立」を創立当初から唱え、権力に
左右されない「在野精神」「反骨の精神」を重視
【80年代→早稲田の時代】
・1987年、早稲田OBの竹下登氏が首相に就任
・1988年 早稲田大学ラグビー部が東芝府中を破って
全国の中心に
・1989年、早稲田OBの海部俊樹氏が首相に就任
早稲田への入学志願者が史上最多の16万人に
【90年代→慶応の時代】
・1990年 慶応湘南藤沢キャンパス(SFC)を創設、受験生
の人気をさらう
・1996年 慶応OBの橋本龍太郎氏が首相に就任
・1998年 早稲田OBの小渕恵三氏が首相に就任
・1998年 早稲田への志願者が約10万人に落ち込む
→学生1流、施設2流、教授3流と揶揄(やゆ)
される
【2000年代の展望】
・早稲田が新学部や新大学院を次々と創設。外部から著名人
を教授として招き、さらに、スポーツ部門の強化と矢継ぎ早
に改革
・2001年、慶応OBの小泉純一郎氏が首相に就任
・2003年の早稲田の入学志願者が12万人超に
・一方、慶応への志願者数は前年に比べて約4000人減少し
4万3000人を切る。躍進の象徴だったSFRも前年より
約800人減少と、人気にかげりあり
これからどうなっていくのか、ぐーすけは知らない。
また、あんまし興味もない。
「会報」でときどき学部のビル化を見るが、正直うらやましい
と思う。
いや、そんなことないかな。
昔はあれはあれでよかったのかもしれない。
オンボロながらも冷房もきいてたし、
冬季になるとオイル・ヒーターだ。
ちょっとしたハリー・ポッター気分。
15号館のラウンジでプロレスの話ばっかしてた
ネタが古いので、最新のレポートが出来ませんでした
ご容赦あれ