剣崎が、「ギャラクティカマグナム」と叫んで
ストレートを打つと、
ドイツチーム総統のスコルピオンが
吹き飛ばされるだけでなく、
会場の窓ガラスが割れ、
コンクリートの壁も崩れ落ちた。
会社の上司に、ネチネチ詰められているとき
胸の中で「ギャラクティカマグナム!」と叫んで
相手が高層ビルの窓をぶち破って
向こうに見えるビルの壁に叩きつけられている姿を
想像する人もいるだろう(俺だけか?)
さて、70年代は60年代に吹き荒れた
政治の熱い風が一気に止んで、
その最後には退屈な「終わりなき日常」しか
我々には残されてはいないことが
明確になった年代でもあった。
「終わりなき日常」とは
戦争や革命のような大きな物語を喪失した我々は、
不安や絶望をそれぞれの立場で
抱え込みながらも、
終わることのない(何も起こらない、繰り返されるだけの)
日常しか残されてはいないということを指して
社会学者の宮台真司が名付けた言葉である。
家庭生活といえば、
たとえば「ドラえもん」の野比家や「ちびまる子ちゃん」の
さくら家、テレビアニメとしての「サザエさん」の磯野家、
80年代以降の家族像を代表する
「クレヨンしんちゃん」の野原家を想像してもらえれば良いが
そこで繰り広げられる日常のシーンが、
そのまま一億中流という意識を醸成させていた
我が国の家庭生活であったろう。
さて、その頃のジャンプということで言えば
「リングにかけろ」が、その時代の少年たちに
熱烈に支持されたマンガになった。
一方では、本宮ひろ志が「さわやか万太郎」で
先駆的に描いた男女間の恋愛物語が出てきた。
少年マガジンではマガジン的なブンガク作品に
昇華した柳沢きみおの「翔んだカップル」が、
そしてラブコメの中心勢力になった少年サンデーでは
あだち充の「タッチ」や高橋留美子の「うる星やつら」が
それぞれ傑作化していったのだ。
ジャンプ誌上でその人気を牽引したのは、
どこかに本来の本宮イズムを継承した
車田正美の「リングにかけろ」だった。
直情径行で男気の塊、ガッツを見せる石松。
ハリケーンボルト
静かでニヒルな男、支那虎
ローリングサンダー。円月拳。
華麗な美男子で実力的にも優れた河合。
ジェットアッパー。ジェットラベンダー。
傲岸不遜な天才、キザさも魅力の剣崎。
ギャラクティカマグナム、ファントム。
純情さ、素直さ、そしてその優しさも魅力の
主人公、高嶺竜児
ブーメランテリオス。
そして、このような主人公とその仲間による
バトル形式のマンガ展開こそ「リングにかけろ」
以降のジャンプマンガの王道の人気パターンに
なっていくのである。
「リングにかけろ」に続いては、
超人バトルもの、プロレスものとして
この後に「キン肉マン」が続くが、
その構造は全く同じだった。
このバトル形式というストーリー展開には
競争社会でしかない資本主義社会を
生き抜くための強いメッセージ
(やられても、やられても諦めず立ち上がって
「勝利」を目指せという強いメッセージ)が
込められていた。